カテゴリ:私説( 55 )

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♪何とかしてライブドア

いい加減にしましょう
●無線☆ちゃんさんのブログ記事●やがて悲しきプロ野球 頂上作戦(Mac de DVD:10月2日)にも書かれているとおり、『未だライブドアブログは重すぎて、一番ブログユーザが更新したいおよそ3時間まったく使えない状態』である。

○前回のメンテナンスを実施した9月28日頃からこの状態が続いており、一番ユーザーが集中するはずのこの時間帯に、アクセスできなかったりコメントが残せないのは、正直言ってイヤになる。

 このブログでは、とりあえずの対策としてエキサイトブログに「あざらしサラダ」(別館)を立ち上げ、そちらでも記事を読めるようにしたのだが、正直言って(別館)の方が使い勝手が良く感じており、本気で移転を考えている。

 ただ、そうは言ってもこれまで書いた記事や頂いたコメント、TBなどの資源は捨てがたいものがあるだけに、さてどうしたものだろうか。
 ライブドアには早急な改善が望まれるので、この記事を『livedoor Blog 開発日誌』にトラックバックしてみようと思うが、果たしてこの声が届くだろうか。

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by azarashi_salad | 2004-10-05 12:12 | 私説 <:/p>

【読売新聞の広告問題について考える】

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●先日書いた記事◇マスコミ倫理とは何か(あざらしサラダ:9月30日)に対して、Dawnさんから●読売新聞の広告問題(dawn:10月2日)の記事をトラックバック頂いた。

○この記事で取り上げた読売新聞の広告問題は、このブログも含めて多くのブログ上で批判の的になっているが、Dawnさんは『blogの中で新聞の「記事と広告とを同一視している」ような記述が多い』ところに違和感を覚えているという。

 これについてDawnさんは、『記事も広告も現実として同じ企業がやっている話ではないかと言われれば、それはその通りである。また週刊文春見出しそのものが報道であり、その見出し広告を改変すること自体が報道を疎外するものだと云う見方も当然あるだろう』と述べて、この問題に対するブロガーの意見に一定の理解を示しつつも、『しかし、新聞社の中では記事は編集局、広告は営業局(名称はこの通りかどうか判らない)に分かれている。・・・「記事と広告とを同一視する」と云うことは、そもそも読者サイドが報道の独立性を認めていないと云うことにならないだろうか』と問題提起している。

 私は、Dawnさんが専門とする仕事については存じ上げないが、この意見は「内部から見た意見」のように感じる。
 もしメディア業界の中だけで議論しているのであれば、そのような議論もあり得るのかも知れないが、私も含めて今回の読売新聞広告を批判している多くのブロガーは、いわゆる一般読者の目線で今回の問題を見ている。
 つまり、一般の読者からすると編集も営業も同じ読売新聞であり、その両者が区別できていなければ報道の独立性を認めていないとする意見は、残念ながら世間一般には通用しないのではないだろうか。

 ただし、Dawnさんが述べる『読売のケースでは文春の見出しは自社のバリューの低下に繋がる恐れがあり、ビジネス的にマイナスと判断されれば、それはビジネス分野であるからやむを得ない』とする意見は、ビジネス的に考えれば理解できなくはない。

 したがって、もし読売新聞が週刊文春の広告を掲載していなければ、恐らくこれほどの批判の声は上がらなかったのではないかと思うのだが、どうして彼らはそのような選択をとらなかったのだろうか。
 つまり、私を含めて多くのブロガーが今回問題視しているのは、オリジナルの広告を読売新聞にとって都合のいい表現に「改竄」したことだと思っているのだが・・・。

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by azarashi_salad | 2004-10-03 00:31 | 私説 <:/p>

☆ブログの持つ最大の魅力

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●先ほどの記事★「ブロガー新聞」の成功に向けて(1)で紹介した「BAIKA Blog」の菅本大二氏(情報メディア学科助教授)の記事●ブログの進行形 [2004年10月01日(金) ]について、余計なお節介とは思いつつもひと言だけコメントをお許し頂きたい。

○菅本氏が、『それにしても、昨年度の3月の時点で、今の「ブログ」人気は、正直予想していなかった。自分でホームページを持っている人間からすると、HPの方が自己責任においてはるかに自由だし、レイアウトとかも自分ですべて構築できる。ブログ人気の秘密は、その簡便さなんだろうか』と述べているとおり、ブログ人気の理由の一つが「簡便さ」であることは否定しないが、私はそれだけではないと考えている。

 私もブログを始めてまだ半年ほどしか経験がないのだが、ブログ人気の最大の秘密はトラックバックによる「繋がり」にある、と私は考えている。
 同じインターネットを利用したコミュニケーションツールでも、単なるHPや掲示板、チャットなどとブログが大きく異なる点は個人が発信する情報がトラックバックによって、「数珠繋ぎ」状に連鎖しながら発展していくところにあり、これこそがブログが持つ最大の魅力ではないだろうか。

 もちろん、全てのブログユーザーがこうしたブログの利用をしているとは思わないが、私も含めて、ネット上で真剣な議論をしたいと考えていた何%かのユーザーは、ブログの登場により、ようやく自分の発言場所を見つけたと感じているのではないだろうか。

 菅本氏が記事を書いている「BAIKA Blog」は、梅花女子大学のサイトであることもあって、おそらくオープンな不特定多数のブログユーザーよりは、在学生および大学に興味がある高校生などを意識して記事を書いているのではないかと思うが不特定多数の読者に向かって情報発信したときにこそ、上に述べたようなブログの醍醐味が最大限味わえると思うので、機会があればぜひお試しを。

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by azarashi_salad | 2004-10-01 21:14 | 私説 <:/p>

★「ブロガー新聞」の成功に向けて(1)

a0008617_235499.gif●「ブロガー新聞」はじめます!:10月からの番組再編(週刊!木村剛:9月30日)

○9月27日の『駆け込み寺はウエルカム』宣言からわずか3日で「ブロガー新聞」開始宣言。この意思決定の早さには正直いって驚かされるが、10月4日の週から「週刊!木村剛」がさらなるパワーアップを目指してコンテンツを拡充するそうだ。
 木村氏は、『「ブロガー新聞」に対して「専門職・地域色の強い情報発信」(by「この幸福な世界」)をビシバシお送りください』とブログユーザーに呼びかけている。

 「参加型ジャーナリズム」の確立を期待している私としては、この動きには非常にワクワクさせられる。この「ブロガー新聞」が、社会的な認知を得ることが出来るか、本当に楽しみである。
 とはいっても、何しろ誰も未経験の試みだけに、色々と試行錯誤しながら多くのユーザーから支持されるような「ブロガー新聞」に成長させていくことが必要だと思う。
 そのためにも、例えば「めたか」さんが心配している以下のような問題を、これからどのように解決していけばいいか・・・。

●もっと「駆け込み寺」を!(at most countable:9月28日)

○木村剛さんのブログ(ゴーログ)が、ブロガーの「駆け込み寺」になってるって話です。
 いや、確かに、こーゆー存在は必要だと思いますし、現状、その役割をゴーログが最前線で果たしているって事も思う。だけど、いかにゴーログでも、なんでもかんでも駆け込み寺になれるって訳じゃない、物理的な限界がありますし、テーマ設定に限りがあるでしょう。(さすがに、関係ないテーマでTBは送れないし)
 となると、もっと他にも、ゴーログ的な役割を果たす「有名ブログ」が必要なんだろうなぁって思います。他にも、多くのTBをマメに取り上げる有名ブログがあれば、良いんですよねー。いないかなぁ、そーゆー人。そして、できればテーマによって住み分けができて、「こういうテーマなら、このブログを見れば」ってなれば・・・って思うんですけど。

 「週刊!木村剛」に寄せられているトラックバック記事の総数は、ざっと計算してみただけで1週間におよそ150通。この数は「ブロガー新聞」がユーザーの支持を得るほど右肩上がりに増加すると思われる。(逆にそうならなければいけないと思う)
 となると「めたか」さんが言うとおり、いかに木村氏がスーパーマンでも物理的な限界があることは容易に想像できる。
 この問題について「ネットは新聞を殺すかblog」の湯川氏は、「ブロガー新聞」に対して以下のような提案をしている。

●「ブログ新聞」への提案(ネットは新聞を殺すのかblog:9月30日)

○現在木村剛さんはすべてのトラックバックに目を通しておられる(すっすごい!)ということだが「ブログ新聞」の「ブログ記者」が増えるにつれ、これは物理的に不可能になる。そこで木村さんには編集長兼主筆になっていただき、それを補佐する「ブログエディター」が必要になる。
 ブログエディターは、有志ブロガーが務めるのがいいと思う。現在、「週刊!木村剛」にトラックバックを送るブロガーは自分のブログであらゆる問題を取り上げるが、自分自身のブログとは別に、自分の得意領域のエディターブログを立ち上げてもらう。「あざらし政治ブログ」、「カトラー経済ブログ」といった具合だ。新聞のジャンル分けである、政治、経済、社会というジャンル以外のものでもいい。より細分化されたジャンルでもいい。自分の得意分野のエディターブログを立ち上げればいいと思う。

 湯川さんが言いたいことは、要するに「ブロガー新聞」の分散処理ということだろうか。これについては、ちょうどいいタイミングで大西さんが記事を書いているので紹介したい。

●ブロッガーって知ってる?(大西 宏のマーケティング・エッセンス:10月1日)

○名付けて「BAIKA Blog」。教員、在学生。卒業生それぞれ6名のブログが展開されていす。まだ、大学のPRが主な目的のようですが、もっとブロッガーの厚みが出てくると、大学の魅力そのものがどんどん増してくると思います。ブログを教育に利用するという可能性もあるのではないでしょうか。将来が楽しみですね。

 私は、湯川氏と直接話したわけではないが、湯川氏がイメージする「参加型ジャーナリズム」とは、恐らくこの「BAIKA Blog」のようなスタイルのことではないだろうか。
 確かに、この「BAIKA Blog」のようなスタイルであれば、「めたか」さんや湯川氏が心配している物理的な制限をクリアできるかも知れないが、その一方、こうしたスタイルについては次にような意見もある。

●こんな「ブログ新聞」なら、ちょっと遠慮したい(my.Hurusato.org:9月30日)

○なぜ、ここまで既存の新聞の仕組みを、ブログでなぞる必要があるのだろうか?これでは、既存の新聞がブログの形を借りているだけで、ブログで実現する本質的な意味は薄いのではないだろうか?
 これが、湯川氏が構想されている、『参加型ジャーナリズム』の究極形だとすると、『参加型ジャーナリズム』とは、結局、ネットのあちこちから記者と編集者を集めて作成するだけで、内容は既存の新聞、ということなのだろうか?
 ブロガーとは、基本的に、個人として記事を書き、トラックバックやコメントに答えながら、自サイトの内容を編集していくのではないか?

 broomさんのこの意見も十分理解できる。私も、今のブログの使い方が気に入っているだけに、「ブロガー新聞」を成功させるために自らのスタイルを変えるのであれば、何だか本末転倒のような気がしなくもない。
 しかし、いずれの方法をとるにせよ、「めたか」さんや湯川氏が危惧している問題のクリアが必要なことには違いない。

 先にも述べたとおり、何しろ誰も未経験の試みなのである。
 この問題をどのようにしてクリアするか。現時点では、より多くのブログユーザーから支持される方法で解決すべき、としか言えそうもない。

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by azarashi_salad | 2004-10-01 19:44 | 私説 <:/p>

【ブログ記事の社会的責任について考える】

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●山口浩氏のブログ記事●Bloggerの社会的責任(H-Yamaguchi.net:8月14日)『Blogが既存のマスメディアの少なくとも一部を代替ないし補完するものとなりうる、との主張はあちこちにみられる』と書かれている。

○まさに、「参加型ジャーナリズム」の確立を呼びかけている私たちの主張に当てはまるものと思われるが、これについて山口氏は、『blogがこれまでマスメディアのもっていた機能の少なくとも一部を代替ないし補完すべき存在と主張するのであれば、マスメディアが負っていた社会的責任の一部をも引き継ぐべき、と考えるのは不適切だろうか』と問題提起しているので、この問題について考えてみた。

 この「あざらしサラダ」は、タイトルにもあるとおり「ニュース」を中心に記事を書いているが、読んで頂ければおわかりのとおり、記事の文章は事実と私の意見(考え方)から成っている。
 山口氏がいう社会的責任は、「事実に対する評価」について言及していると思われるので、私の記事で言うと「意見」の部分を指していると思われる。

○まず、事実についてはニュースなどで既にオープンになっている情報(公開データ)、報道機関も含めてまだ誰も知らされていない情報(非公開データ)、デマや嘘(虚偽データ)に分けられると思う。

 このうち「公開データ」については、マスコミの扱いによって注目されるものもあれば、ほとんど国民に知らされていないものもあるが、何が重要な事実かは本来は読者に委ねられるべきものであり、どのような事実を取り上げてブログで記事にしても、そのことによる社会的責任は問われないと考える。
 一方、「虚偽データ」については社会を混乱させる恐れがあり、場合によっては社会的責任を問われることもあり得るのではないだろうか。

 問題は「非公開データ」についてであるが、企業や役所に守秘義務がある以上、現時点においては、残念ながら社会的責任を問われる場合もあり得ると考えざるを得ない。
 ただし、三菱や中電、北海道警のように企業(あるいは一部の経営者)や役所が社会モラルに反するような行動をしている場合、国民の知る権利を尊重する観点からも、業務上知り得た情報を内部告発しても責任が問われることがないよう、内部告発者の保護制度確立や公務員の守秘義務の撤廃などが必要だと思う。

○これに対して、事実に対する個人的な意見をブログ記事で公開する場合に、社会的責任が問われるかについて考えてみた。

 憲法で言論の自由が保障されている限り、もちろん誹謗や中傷など特定の個人や団体の名誉を傷つけることを目的とした暴言は許されないと思うが、上で述べた事実に関する意見(自分の考え)を述べること自体に社会的責任は無い、と私は考える。
(意見表明自体に責任を負わせることは、言論統制に繋がりかねないのではないだろうか)

 既存メディアでも、本来「社説」などは個人的な(あるいはその組織から見た)意見と捉えることができるのだが、この場合は、一方通行の情報発信であることから批判や反論を受け付ける仕組みがない。
 このため、ややもすれば「言ったもの勝ち」になりかねないことから、メディアの発言には一定の社会的責任があるとされてきたのではないだろうか。

 これに対してブログで個人が発信する発言は、その意見に対してコメントまたはトラックバックで反論することが可能であることからしても、発信者の社会的責任を問う必要はない、と私は考える。

 要するに「参加型ジャーナリズム」においては、個人が発信する意見やそれに対する反論も含めて、最終的にどの意見が納得できるかの判断は、全て読者に委ねられているということではないだろうか。

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by azarashi_salad | 2004-09-30 22:26 | 私説 <:/p>