△「モーニングセット」とコミュニティーの関係

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●前回の記事(△「見舞い」のその後)で、私の地元高知の喫茶店では「モーニングセット」が豪華なことを紹介しましたが、この喫茶店に毎日通っているうちに「モーニングセット」が豪華なのには「ある理由」があるのではないか、と思うようになりました。

○2年ぶりに実家に戻った私が訪れたこの喫茶店は、20人ほどで満席となる小さな店のため、当然のように「相席」に案内されるわけです。

 そして、私が座ったボックスでコーヒーを飲んでいた方々は、みんな母が入院したことを知っており、私が東京から戻り「見舞い」を済ませたことを告げると、そろって「お母さんは元気か」「いつ退院できるのか」と心配してくれました。

 中には、すでに「見舞い」に訪れてくれていた方もいて本当に感謝してやみませんが、こうしたときに「遠くの家族より近くの他人」と実感してしまいます。

○ところで周りを見わたすと、私の母と同い年くらいの近所に住む方々が、まるでお気に入りのブログでコミュニケーションを楽しむかのように、気の合う仲間同士でのおしゃべりを楽しんでいます。

 そう、この喫茶店に訪れる常連客の方々は、ただコーヒーを飲むためだけにやってくるのではなく、ここに集まる客同士で会話を楽しむ、いわゆるコミュニケーションを最大の目的としているのです。

 以前、何かの本で「人は一日に数千語を話さないとストレスがたまる」と読んだことがありますが、私の母のように一人暮らしをしている高齢者にしてみれば、定年ですでに仕事を辞めているため誰かと会話をする機会などあまりありません。
 そのため、こうしたコミュニティーでのおしゃべりが、一日の中で会話をする唯一の場になっているというわけです。

○毎日こうした光景を見ているうちに、この喫茶店ではほとんどの常連客がゆっくりとおしゃべりを楽しもうと長居をするから、「モーニングセット」も豪華でボリュームが必要なのではないだろうか、と私は思うようになりました。

 巷では2007年問題と言われていますが、あと2年もすると団塊世代の大量退職が始まり、徐々に定年で仕事を辞めた方々が街に田舎に溢れることになります。
 私の母のような一人暮らしの高齢者にとっては、退職後もどうやってコミュニケーションの場(機会)を確保するかが、大きな問題になるような気がします。

その時、もしかすると今回紹介したような「小さな喫茶店」が、高齢者たちのコミュニティーとして注目されるようになるかもしれません。
 そして、あと数年もすれば全国で豪華な「モーニングセット」が流行っているような気すらするのです、笑。

【追記】
 写真は、高知駅の売店で買った「焼き鯖すし」だが、最近高知で流行っているらしい。
 高知名物の「皿鉢料理」には大体「鯖の姿すし」が乗っているが、鯖は「いたみ」が早いため二日目は炙って食べる。
 この「焼き鯖すし」は、お弁当向けに工夫したのだろうか、始めから焼いた状態で販売している。
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by azarashi_salad | 2005-08-19 22:56 | 私説 <:/p>

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