【読売新聞の広告問題について考える】

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●先日書いた記事◇マスコミ倫理とは何か(あざらしサラダ:9月30日)に対して、Dawnさんから●読売新聞の広告問題(dawn:10月2日)の記事をトラックバック頂いた。

○この記事で取り上げた読売新聞の広告問題は、このブログも含めて多くのブログ上で批判の的になっているが、Dawnさんは『blogの中で新聞の「記事と広告とを同一視している」ような記述が多い』ところに違和感を覚えているという。

 これについてDawnさんは、『記事も広告も現実として同じ企業がやっている話ではないかと言われれば、それはその通りである。また週刊文春見出しそのものが報道であり、その見出し広告を改変すること自体が報道を疎外するものだと云う見方も当然あるだろう』と述べて、この問題に対するブロガーの意見に一定の理解を示しつつも、『しかし、新聞社の中では記事は編集局、広告は営業局(名称はこの通りかどうか判らない)に分かれている。・・・「記事と広告とを同一視する」と云うことは、そもそも読者サイドが報道の独立性を認めていないと云うことにならないだろうか』と問題提起している。

 私は、Dawnさんが専門とする仕事については存じ上げないが、この意見は「内部から見た意見」のように感じる。
 もしメディア業界の中だけで議論しているのであれば、そのような議論もあり得るのかも知れないが、私も含めて今回の読売新聞広告を批判している多くのブロガーは、いわゆる一般読者の目線で今回の問題を見ている。
 つまり、一般の読者からすると編集も営業も同じ読売新聞であり、その両者が区別できていなければ報道の独立性を認めていないとする意見は、残念ながら世間一般には通用しないのではないだろうか。

 ただし、Dawnさんが述べる『読売のケースでは文春の見出しは自社のバリューの低下に繋がる恐れがあり、ビジネス的にマイナスと判断されれば、それはビジネス分野であるからやむを得ない』とする意見は、ビジネス的に考えれば理解できなくはない。

 したがって、もし読売新聞が週刊文春の広告を掲載していなければ、恐らくこれほどの批判の声は上がらなかったのではないかと思うのだが、どうして彼らはそのような選択をとらなかったのだろうか。
 つまり、私を含めて多くのブロガーが今回問題視しているのは、オリジナルの広告を読売新聞にとって都合のいい表現に「改竄」したことだと思っているのだが・・・。

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by azarashi_salad | 2004-10-03 00:31 | 私説 <:/p>

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