【ブログ記事の社会的責任について考える】

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●山口浩氏のブログ記事●Bloggerの社会的責任(H-Yamaguchi.net:8月14日)『Blogが既存のマスメディアの少なくとも一部を代替ないし補完するものとなりうる、との主張はあちこちにみられる』と書かれている。

○まさに、「参加型ジャーナリズム」の確立を呼びかけている私たちの主張に当てはまるものと思われるが、これについて山口氏は、『blogがこれまでマスメディアのもっていた機能の少なくとも一部を代替ないし補完すべき存在と主張するのであれば、マスメディアが負っていた社会的責任の一部をも引き継ぐべき、と考えるのは不適切だろうか』と問題提起しているので、この問題について考えてみた。

 この「あざらしサラダ」は、タイトルにもあるとおり「ニュース」を中心に記事を書いているが、読んで頂ければおわかりのとおり、記事の文章は事実と私の意見(考え方)から成っている。
 山口氏がいう社会的責任は、「事実に対する評価」について言及していると思われるので、私の記事で言うと「意見」の部分を指していると思われる。

○まず、事実についてはニュースなどで既にオープンになっている情報(公開データ)、報道機関も含めてまだ誰も知らされていない情報(非公開データ)、デマや嘘(虚偽データ)に分けられると思う。

 このうち「公開データ」については、マスコミの扱いによって注目されるものもあれば、ほとんど国民に知らされていないものもあるが、何が重要な事実かは本来は読者に委ねられるべきものであり、どのような事実を取り上げてブログで記事にしても、そのことによる社会的責任は問われないと考える。
 一方、「虚偽データ」については社会を混乱させる恐れがあり、場合によっては社会的責任を問われることもあり得るのではないだろうか。

 問題は「非公開データ」についてであるが、企業や役所に守秘義務がある以上、現時点においては、残念ながら社会的責任を問われる場合もあり得ると考えざるを得ない。
 ただし、三菱や中電、北海道警のように企業(あるいは一部の経営者)や役所が社会モラルに反するような行動をしている場合、国民の知る権利を尊重する観点からも、業務上知り得た情報を内部告発しても責任が問われることがないよう、内部告発者の保護制度確立や公務員の守秘義務の撤廃などが必要だと思う。

○これに対して、事実に対する個人的な意見をブログ記事で公開する場合に、社会的責任が問われるかについて考えてみた。

 憲法で言論の自由が保障されている限り、もちろん誹謗や中傷など特定の個人や団体の名誉を傷つけることを目的とした暴言は許されないと思うが、上で述べた事実に関する意見(自分の考え)を述べること自体に社会的責任は無い、と私は考える。
(意見表明自体に責任を負わせることは、言論統制に繋がりかねないのではないだろうか)

 既存メディアでも、本来「社説」などは個人的な(あるいはその組織から見た)意見と捉えることができるのだが、この場合は、一方通行の情報発信であることから批判や反論を受け付ける仕組みがない。
 このため、ややもすれば「言ったもの勝ち」になりかねないことから、メディアの発言には一定の社会的責任があるとされてきたのではないだろうか。

 これに対してブログで個人が発信する発言は、その意見に対してコメントまたはトラックバックで反論することが可能であることからしても、発信者の社会的責任を問う必要はない、と私は考える。

 要するに「参加型ジャーナリズム」においては、個人が発信する意見やそれに対する反論も含めて、最終的にどの意見が納得できるかの判断は、全て読者に委ねられているということではないだろうか。

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by azarashi_salad | 2004-09-30 22:26 | 私説 <:/p>

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