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▼現役記者のご意見を伺いたい

●先日の記事(★誰が加害者で誰が被害者?)に対して、memoireさんヤースさん、れじいさんからコメントを頂きました。

○memoireさんからは「被害者に、落ち度があったとしても、まず、責めなければいけないのは、加害者なのに、被害者を過酷に問いつめ、罰するという風潮があります」とのコメントを、またヤースさんからは「パチンコではなく図書館なら記事にならなかったのかな?本質が見えませんよね」とのコメントを頂きました。

 上のお二人には私の問題意識が伝わったようですが、れじいさんから頂いたコメントを読み、その返答を考える中で、あらためて「前回の共同通信記事には問題がある」という思いを強くしましたので、よければ以下の問題について、現役記者の方々のご意見をお聞かせ頂けないでしょうか。

○私が思うに、前回の共同通信記事(こちらの毎日新聞記事も同様ですが)の問題点は、以下の2点ではないかと思います。

 1つ目の問題は、前回の記事からは「問題の本質が見えない」ということです。
 れじいさんのコメントにも書かれていましたように、4月からの「個人情報保護法」施行をふまえれば、今は同法の運用上の問題点等をあぶり出すことが重要な時期ではないでしょうか。

 その意味では、同じ個人情報流出に関する事件でも、約27万人の個人情報紛失 みずほ銀行、預金残高も [ 03月30日 13時10分 ] 共同通信の記事では読者に問題点がよく伝わるのですが、前回の記事では「車上荒らし」の被害にあった「教諭」にしか焦点があたっていないため、問題の本質が読者に正しく伝わらないように思うのです。

 双方の記事を見比べると、みずほ銀行の記事は「銀行の組織的な個人情報管理体制」を問題視していますが、前回の記事は、どう見ても「車上荒らし」の被害者である「教諭個人」を非難しているとしか思えないのですが、いかがでしょうか。

○2つ目の問題は、前回の記事が「犯罪加害者と被害者をミスリードしている」ことです。
 れじいさんのコメント「今までに立ちションですらやったことがない聖人君子でないと犯罪を報道できない、ということになりませんか?」にもあるとおり、前回の記事を読んだ多くの読者は、どちらかといえば「車上荒らし」という犯罪を犯した加害者よりも、個人情報を盗まれた被害者を「犯罪者」扱いしてしまうのではないでしょうか。

 れじいさんのコメントに対する返答の中でも書きましたが、
 私は、このようなマスコミのミスリードが非常に危険だと思うのです。

 今後、「裁判員制度」が施行されると、私たち市民一人ひとりが「人を裁く」ことに係わらざるを得なくなります。その時、私たち市民が「イメージ」だけで安易に「犯罪者」扱いすることがないよう、事件を報道する側は常に「誰がどのような法を犯しているのか」という視点を意識することが重要だと思うのですが、いかがでしょうか。

○なお、この記事を共同通信のブログ『署名で書く記者の「ニュース日記」』と毎日新聞:磯野記者のブログ『上昇気流なごや』にトラックバックさせて頂きました。

 双方のブログを始め、現役記者の方々のご意見をぜひお聞かせ下さい。
 コメント、トラックバックをお待ちしています。
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by azarashi_salad | 2005-03-30 15:26 | 社会 <:/p>

★誰が加害者で誰が被害者?

●児童の成績控えなど盗難 教諭がパチンコ中に(3月26日 共同通信)

 前橋市の市立小学校教諭が、パチンコ中に乗用車を荒らされ、担任をしている3年生の児童38人分の主席簿や成績の控えなどを盗まれていたそうだ。


○記事で紹介されている事件は、「小学校教諭が、帰宅途中に1時間ほどパチンコをしている間に車上荒らしの被害にあい、車内に置いていた成績控えなどが盗まれた」というものです。
 「見出し」を見ると、この記事からは「成績控えなどの個人情報を車内に置いたままパチンコをしている教諭はけしからん」という記者の個人的な「意見」がひしひしと感じられます。

 私も、この教諭に全く落ち度がないなどと言うつもりはありませんが、落ち着いてよく考えてみると、この事件の加害者は一体誰なのでしょう。教諭は、車の窓ガラスを割られた被害者ではないのでしょうか。(個人情報を奪われた児童はもちろん被害者ですが)

 この教諭が、「おれは悪くない」などと開き直っているというならともかく、すでに校長とともに保護者に事情を説明し謝罪しているというのに、この記者は、それ以上の一体何を求めているのでしょうか。

○私にも教師の知人がいますが、彼が言うには、本当に毎日忙しいにもかかわらず、予算が決められているから「サービス残業」が当たり前なのだそうです。
 この教諭も、書類を自宅に持ち帰っていたと言うことは、もしかすると「サービス残業」をしないために「持ち帰り残業」をしていたと言うことではないのでしょうか。
 そうした事件の表面には表れてこない問題の背景をえぐることこそが、報道の本来の役割ではないのでしょうか。

 この教諭の行動は、決してほめられたものではありませんが、マスコミは、すでに反省して謝罪もしている犯罪被害者を、どうしてさらに叩く必要があるのでしょう。
 さらに言わせて頂くならば、盗まれた教諭に「けしからん」と言う以上、新聞記者はみな、取材の過程で知り得た個人情報などは、決して犯罪被害に遭わないように肌身離さずに持ち歩いている、ということですか。

○この記事からは、本当に追及すべきは犯罪加害者であるはずなのに、「車上荒らしはけしからん」だと当たり前すぎて記事が売れない、「教師はけしからん」の方が読者受けするという、商業マスコミの一方的な「都合」が見え隠れするような気がします。
 そして、私はこのような報道姿勢がこの国の犯罪を助長している、とすら感じずにはいられません。
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by azarashi_salad | 2005-03-27 15:25 | 社会 <:/p>

☆ブログはすでに新聞を「補完」しているのではないだろうか

●湯川さんのブログ記事(すごくないですか?このところの記者ブログ:ネットは新聞を殺すのかblog)で、団藤さんのブログ記事(ブログの現状はそれほど素晴らしいか。:ブログ時評)をとりあげています。

○湯川さんは、記事の中で『ネット上のブログの知のレベルに対して「私はこのレベルで満足してもらっては困ると思っている」「『もっと勉強しようよ』と言わざるを得ない」・・・言論は自由。だからこそ、ネットの書き手は考えねばならない。プロだと言っている人なら、もっと考えねばなるまい』という団藤さんの言葉を紹介しています。

 私は、団藤さんの言葉に半分はうなずきながら、できれば、その言葉はネット以上に大きな影響力を持つテレビや新聞などで「意見」を発信している方々、もちろんプロのジャーナリストの方々に対してこそ向けてほしい、と思わざるをえません。

 例えば、新聞の紙面上で「意見」を発信している記者の方々は、本当にネットの「書き手」以上に勉強しているのでしょうか?
 このブログでも何度か指摘してきましたが、新聞記事が伝える「知識」や「意見」のレベルは、ネットから得られる「知識」や「意見」に比べて、どちらかといえば相対的に低下してきているのではないかと思うのです。

 もちろん、私は全てのネットの「書き手」が新聞記者以上に勉強しているなどと言うつもりはありませんが、特定の分野に限っていえば、新聞記事以上に深い知識と考察を披露しているブログは数多く存在していると思います。
 そして、このようなブログを閲覧することにより、日頃不満に感じている新聞記事を補完している自分に気づくのです。

○一方、湯川さんは、同記事の【追記】として『現代の読者が持つ問題意識「知のピーク」は、新聞がかつて社会全体にふんわりと被せていた膜を随所で突き破っていると書いた。全体としての知の水準が新聞を超えているのではないが、個々人が関心を持つ特定の問題意識では、本当にあちこちで凌駕されている』という団藤さんの文章も紹介しています。

 例えば、先日の記事(△不幸な事故を繰り返さないために)にトラックバックして頂いたecotakaさんのブログ記事(ヒューマンエラー 竹の塚踏切事故を考える)や同ブログの一連の記事で紹介されている数々の「考察」「意見」などは、まさに団藤さんが指摘するとおり、特定の問題意識では新聞記事の水準を凌駕していると言ってもいいのではないでしょうか。

 前回の記事(【メディアの公共性について考える(2)】)でも書きましたが、ブロガーの多くは、私と同じように新聞やテレビなどから発信される『国民を代表するとされている「意見」』に対して「ちょっと違うよ」と不満を感じているからこそ、ネット上で自らの「意見」を直接発信したいと考えるようになったのではないかと思います。

 このように見ると、すでにブログは、新聞では紙面による限界やその他様々な事情により載せられない視点からの「考察」や「意見」を「補完」している、と言ってもいいのではないかと思うのですが。
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by azarashi_salad | 2005-03-27 15:25 | 私説 <:/p>

【メディアの公共性について考える(2)】

●前回の記事(【メディアの公共性について考える(1)】)には、kaimさんから(少年非行に関する世論調査)(産経抄「インターネットがテレビや新聞を殺す」)の記事をトラックバックして頂きました。
 またdawnさんと大西さんからもコメントを頂戴しました、どうもありがとうございます。

○そのkaimさんの記事(少年非行に関する世論調査)にTBされていたScottさんの記事(マスコミに期待する「商品」)に書かれていた『「確実な一次ソース」としての役割は万民が認める一方で、社説や記事に付随している「記者の感想」に不満タラタラ、といったところでしょうか。私はよく「事実だけをくれ!その判断はオレが下す!」と思いながらニュースを見ています』という意見に、思わず「そう、そう(笑)」とうなずいてしまいました。

○前回の記事でも書きましたが、災害報道なども含めて国民が必要としている「事実」を伝えるという意味においては、今のマスコミの役割を私も一定評価しています。
 ただし、マスコミ関係の方々が「事実」と「意見」を区別しないまま「国民に伝える義務がある」などと言うものですから、話がややこしくなると思うのです。

 ここにきて、多くの「ジャーナリスト」の方々が、一斉に「メディアの公共性」などと主張する背景について、前回の記事を書きながら私が感じたことは、彼らが「自らの存在意義が問われていることに対して本気で危機感を抱きはじめたようだ」ということです。

 しかし、世の中の「事実」や国民を代表する「意見」を伝える「プロ」であるはずの「ジャーナリスト」の方々は、一体何をそんなに恐れているのでしょうか。
 私は、おそらく彼らの「危機感」は彼らの「仕事スタイル」に起因しているのではないだろうか、と考えています。

○例えば、新聞記者の「仕事スタイル」を例にとって考えてみると、多くの新聞記事において、「政府」や「企業」が発信する情報の垂れ流しや、「意見」を主張する場合でも「政府」や「企業」あるいは「学識経験者」の「意見」の受け売りである場合が、よく見受けられます。

 もちろん、マスコミには『国民にわかりやすく「事実」を伝える』という役割が期待されていますので、決してそれ自体が悪いなどというつもりはありません。
 ただしこの場合、彼らの「仕事スタイル」は、全て頂きものの「情報」を体裁よく加工しているだけで何ら新たな「もの」をつくりだしているわけではない、ということになりはしないでしょうか。
 そして、新たな「もの」をつくる仕事でなければ、いつでもだれでも取って代わることができるということに、ようやく彼らも気がついたのではないでしょうか。

○これに対して、冒頭でも紹介したように、ネットの普及により誰でも簡単に「情報」を手に入れることが可能となった現代においては、マスコミには「事実」を伝えることだけを期待し、「意見」については直接自分の手で伝えたいと考える国民が増えてきた、ということではないかと思います。

 そして、このように直接自分の「意見」を伝えたい国民にとってみれば、マスコミはすでに『「事実」の受信に関しては、本来全ての国民に知る権利があるはずの「情報」を勝手に取捨選択し、「意見」を発信する場合には、その影響力の違いにより個人の「意見」を埋没させる「やっかいな存在」』になりつつあるのではないか、とすら私は思うのです。

 もちろん、上で述べたように自ら「意見」を伝えたい国民ばかりではなく、マスコミに「意見」を代弁して欲しい国民もまだ多くいるとは思いますが、そうであれば、どちらも同じ「意見」なので双方の「意見」を平等に扱って欲しいと思うのです。

○先に述べたように、もしマスコミが抱いている「危機感」が彼らの「仕事スタイル」に起因しているのであれば、彼らには、これまでの「仕事スタイル」を守ろうとするのではなく、国民の変化に対応した「仕事スタイル」に自ら「変革」していくことが求められていると思います。

 このブログでは、以前から「参加型ジャーナリズム」のテーマについてとりあげ、例えば新聞の「社説」や「読者の声」といった一部でいいからブログにして、読者と双方向のコミュニケーションを確立してはどうか、と訴えて続けてきたのですが、残念ながら未だに実現には至っていません。

 しかし、特にマスコミ関係の方々は「テレビやラジオは公共財だ」と主張するのであれば、少なくとも「意見」を伝えるメディア(道具)については、もっと広く国民に開放するべきではないでしょうか。
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by azarashi_salad | 2005-03-26 15:24 | 私説 <:/p>

【メディアの公共性について考える(1)】

●先日の記事(▲「ものづくり」の価値を見直そう)にトラックバックしてくれたdawnさんの記事「産経抄」に、「メディアとは、媒体、手段、特にマス・コミュニケーションの媒体」(広辞苑)である。要するに単なる道具である」「消費者が欲しいのは情報(報道情報もあればエンタテイメントもある)なのであって、媒体(道具)ではないだろう」と書かれていますが、もっともな指摘だと思います。
 そこで、「情報」の観点から「メディアの公共性」について考えてみたいと思います。

○一般に新聞やテレビなどのマス・メディアが伝える「情報」でも、その中身はブログが伝える「情報」と同じように「事実」と「意見」が混在しており、「メディアの公共性」について考える場合も、この「事実」と「意見」を区別することが重要ではないかと思います。

 以前に【ブログ記事の社会的責任について考える】の記事でも書きましたが、私たちがブログに書く多くの文章も、マス・メディアなどから入手した「事実」と、ブログオーナーの「意見」から成り立っています。(もちろん「意見」だけを述べるブログや「事実」だけを伝えるブログもありますが)

 一方、多くの既存ジャーナリストの方々が「メディアの公共性」を主張する新聞やテレビが伝える「情報」にしても、誰が伝えてもほぼ同じ内容となる「事実」もあれば、「論説」や「社説」のように、個人や組織の「考え」をつよく反映した「意見」もあるわけです。(このへんは各紙の「社説」を読み比べるとよく分かります)

○しかし、そもそも現在のマスコミが伝える「事実」にしても、その大半は記者クラブに代表されるように「政府」や「企業」から入手した内容を垂れ流しているにすぎず、マスコミが自らが発掘した「新たな事実」がどれだけあるのか、私には疑問です。

 加えて、こうした「事実」に関して「論説」や「社説」の中で「意見」を主張する場合でも、その「意見」のベースとなる「考え」は、「政府」や「企業」あるいは「学識経験者」たちの「意見」の受け売りである場合が多く見受けられ、地道に勉強した上で自らの「意見」を主張するジャーナリスト達がどれだけいるかについても、疑問に思えて仕方がないのです。(新聞記者は忙しすぎてそんな暇がないのかも知れませんが)

 プロ野球ストライキ問題で、読売新聞が自らの「社説」において手前勝手な「意見」を主張し、多くのブロガーたちから反感を買ったのは記憶に新しい出来事です。
 今回は、産経新聞が3月18日付けの「産経抄」で同じようなことを繰り返しているそうで、こうした事実を続けざまに見せつけられれば、いくらジャーナリストの方々が「メディアの公共性」なんて主張しても、市民に受け入れられないのはある意味当然の結果といえるのではないでしょうか。

○このように考えてみると、私を含めて多くのブロガーたちが、既存ジャーナリストの方々の『マスコミが伝える情報には「公共性」がある』という主張に違和感を抱く最大の理由は、客観的な「事実」だけではなくて自らの「意見」も含めて「公共性」がある、と主張しているように聞こえるからではないかと思います。(記事の取捨選択や見出しなども形を変えた「意見」といえるでしょう)

 つまり、マスコミが伝える「論説」や「社説」も、その影響力の違いこそあれ、本質的には私たちがブログで主張する「意見」と何ら変わるものではないのですから、「意見」については本来「公共性」なんてものはなく、「公共性」は、誰が伝えてもほぼ同じ内容となる「事実」に対してだけ確保されていればいいのではないでしょうか。

 そして、その「事実」を伝えるための道具としては、ネットや新聞、ラジオ、テレビなど、選択肢が多ければ多いほど、情報を受け取る市民の側としては使い勝手が良いのではないかと思うのですが。
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by azarashi_salad | 2005-03-25 15:23 | 私説 <:/p>

♪ザウルスが犯人でした

Zaurusu
●昨日の記事(♪ブログの更新再開にあたって)で指摘した問題点は、いずれもZaurusが犯人でした。ポータルサイトのみなさん、「Zaurus」(シャープかな?)に代わってお詫び申し上げます。

○昨日の記事で、『(OSにlinuxを使用している)「Zaurus」を使用しているためか「エキサイトブログにコメントが送れない」「ココログにコメントすると文字化けする」「どのブログにもTBが送れない」など、いくつかの問題がある』と指摘したのですが、実はいずれもブログサイト側の問題ではなく「Zaurus」側の問題でした。

 原因は、どうやら出荷時の「Zaurus」にインストールされているブラウザソフト(NetFront)のバグのようで、「Zaurus:SL-C3000」の本体ソフトウェアROMをアップデートすることにより解決しました。

○この不具合について、「ザウルスサポートステーション」のサイトには、以下のとおり書かれています。

 NetFrontのバージョンが「v3.1 1.5.4」にアップデートされます。(Product IDがNF31EQR154Vになります。) これにより以下の現象が改善されました。
・ 入力フォームへ入力した文字列に『/』(スラッシュ)が含まれていると、スラッシュ以前の文字列がサーバーに送信されない現象を改善しました。
※NetFrontアップデートソフト NetFront v3.1 1.5.2のアップデート内容と同じです。
・ 入力フォームの文字コードにUTF-8を使用している一部のBlogページなどに書き込みをしたとき、入力した内容が正しく反映されない場合がある現象を改善しました。


 おそらく、上で指摘している一つ目の不具合により「どのブログにもTBが送れない」「エキサイトブログにコメントが送れない」といった症状が、また二つ目の不具合により「ココログにコメントすると文字化けする」といった症状が出ていたのではないかと思われます。

○今回のROMバージョンアップにより、とりあえず表面化している問題点は解決したようにも思えるのですが、何しろ使い始めたばかりのツールなので、今後どのような不具合が出るか想像できません。
 というわけで、もう少し「Zaurus」を使いこなせるようになるまで、前回の記事で書いた方法で当面運営したいと思いますので、よろしくお願いします。
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by azarashi_salad | 2005-03-21 15:22 | 無駄話 <:/p>

▲「ものづくり」の価値を見直そう

ものづくり道
●クリエーター達が報いられる日(大西 宏のマーケティング・エッセンス)

○いつもお邪魔する大西さんのブログ記事「クリエーター達が報いられる日」で「日本は、クリエーターにとって決して恵まれた環境の国とはいえません。どちらかというとコンテンツを生み出すクリエーターの立場が弱く、コンテンツを流す映画、TV、ラジオ、レコード、出版会社などの流通が主導権を握っているというのが実態です」と問題提起されています。

 一方、dawnさんも先日の記事「メディアの融合」において、「日本のコンテンツビジネスは流通サイド(放送、広告代理店、通信も流通の範疇)が強過ぎる。この結果、制作会社は下請として大半が虐げられ、成長性を摘み取られてきた」と指摘されています。

 どちらの記事も、「制作サイドが弱く流通サイドが主導権を握っている」という点で共通しています。
 私も、中小企業を中心とする高い技術力を持った制作現場がこれまで日本経済を支えてきたと考えており、もっと「ものづくり」を高く評価すべきではないかと思います。

○そのような中、ライブドアとフジサンケイグループの対立問題が連日ニュースを賑わせていますが、そこで気になるのが「会社は誰のもの」という議論です。
 というのも、多くのコメンテーターの方々に「会社は経営者のものでも社員のものでもなく株主のもの」という極端な主張が見受けられますが、本当にそれでいいのでしょうか。

 もちろん、私も会社が株主に利益を還元することを否定するつもりはありませんが、先ほどの「ものづくり」の価値を高めるという観点から考えた場合、株主の利益のみを追及する会社の社会的存在価値はあるのか、と考えてしまうのです。

 株主となって会社の株を買うと言うことは、当たり前ですが「投資する」と言うことですが、ではその投資の対象は一体何でしょうか。
 私たちは、先人達が創りあげてきた「文化」や「技術」の上に立って、今の生活を営んでいます。そして、そうした「文化」や「技術」は、多くの先人達が投資した結果、後世に託された「社会資産」といえるのではないでしょうか。

 もし会社というものが株主への利益還元だけを考え、何も生み出さない、何も残さない行動を選択するとしたら、今ある「社会資産」は全て食い尽くされてしまい、私たちの子供や孫の世代には何も残らない、残りカスだけの社会になってしまうのではないでしょうか。

○株式投資のすそ野が広がるにつれ、おそらく多くの株主の方は自らの「個人資産」を増やす目的で株主になられていると思いますが、個人の資産なんて「墓場」まで持っていけるものではないと思います。
 それよりも、自分が投資した会社が、その投資のおかげで後世に役立つ「技術」や「文化」を残すことにつながれば、「社会資産」に対して素晴らしい「投資」をしたと後世に誇れるのではないでしょうか

 今回のライブドアとフジサンケイグループの対立について、私は特にどちらを支持するつもりもありませんが、どちらの方が後世によりよい「社会資産」を残すのか。私は「ものづくり」という観点から注目したいと思います。
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by azarashi_salad | 2005-03-20 15:22 | 経済 <:/p>

▽課題が山積の「愛・地球博」

●客の流れさばけない 荷物検査に長蛇の列[CHUNICHI WEB PRESS] 愛・地球博特集 - 3月20日

 19日に開催された「愛・地球博(愛知万博)」の内覧会には5万人以上が詰めかけたが、予想されていた運営面の問題点が一気に露呈したそうだ。
 多い日は15万人以上の入場が見込まれているのだが、博覧会協会は有効な対策を打ち出せるだろうか。


○この内覧会で明らかになった課題は大きくわけて、「会場へのアクセス」「人気パビリオンの入場方法」「飲食店の行列」など、いずれも当初から予想されていたものばかりです。

 「会場へのアクセス問題」については、「走るパビリオン」青息吐息 足止め4000人やきもき[CHUNICHI WEB PRESS] 愛・地球博特集 - 3月20日にも書かれているとおり、「1時間に1万5000人を運ぶ同市営地下鉄東山線に対し、藤が丘駅で接続するリニモ(3両編成)は約4分の1の4000人余り」という交通容量管理のまずさに根本的な原因があると思います。

 これに対して博覧会協会は、「リニモ自体は編成車両数の増設はできず運行本数を増やすことも難しい。藤が丘駅の混雑防止のためJR名古屋駅とリニモの万博八草駅をつなぐJRの直行列車『エキスポシャトル』の利用を勧める」としています。
 しかし、一方では「アルバイト店員が不慣れなうえ、リニモの大混雑で遅刻者が続出。少ない人手でやりくりせざるを得なかったのも一因だ」とも報じられており、来場客に代替交通を勧めるのであれば、少なくとも会場スタッフにはリニモを利用させるべきではありません。
 せめて、会場スタッフ専用の送迎バスを運行させるぐらいの対策は、早急に講じるべきではないかと思います。

○「人気パビリオンの入場方法問題」では、「日立グループ館、三井・東芝館など人気パビリオンでは最大3時間待ちの大行列ができ、トヨタグループ館は見学に必要な整理券が午前9時半の開場から1時間強でなくなった」と報じられていますが、先ほどの交通アクセス混雑解消のためにも「先着順に整理券を配るやり方」は大いに問題があるといえそうです

 トヨタ館は「遅い時間帯のショーを整理券なしにすることも検討したい」と、少しでも不公平感をなくす工夫を模索するそうですが、折角来場したにもかかわらず目当てのパビリオンに入れないということがないよう、もっと「観覧予約システム」を積極的にPRすることも必要だと思います。

○最後に「飲食店の行列問題」については、「会場には弁当を持ち込めないだけに、飲食店の混雑は入場者の不満をいっそうかきたてた」そうで、当然の結果といえるでしょう。

 飲食物の持ち込みについては「弁当・飲料の持ち込み禁止 座席不足で長蛇の列に[CHUNICHI WEB PRESS] 愛・地球博特集 - 3月9日」の記事でも「25日に開幕する愛・地球博(愛知万博)で会場内に弁当やペットボトルの持ち込みが原則禁止されることに疑問の声が上がっている。博覧会協会は衛生上の問題とテロ防止を主な理由にあげるが、会場内の飲食店は値段が高く、混雑時には座席が不足して長蛇の列ができそうだ。協会は現時点で『方針を変えるつもりはない』と言うが、このままでは“愛”のない地球博になりそう」と皮肉たっぷりに報じられていました。

 弁当類の持ち込み禁止について、博覧会協会は「梅雨時や夏に腐りやすく食中毒の恐れがある」ことを強調していますが、自ら持ち込んだ弁当の食中毒などそれこそ「自己責任」以外のなにものでもなく、そういう心配は博覧会に出店するレストランにこそ周知徹底して頂きたいものです。

 また「液体の爆発物や薬品を入れる恐れがあるから」という理由でペットボトルの持ち込みも禁止されているそうですが、水筒の持ち込みが可能であることを考えると、こちらも納得できる説明にはなっていません。

 その一方、「会場内のコンビニ店には外で調理した弁当の販売を許可し、VIP(要人)用弁当は持ち込みを一部認める」そうで、この「ダブルスタンダード」に対して来場者の不満はさらに高まるのではないかと想像されます。

○会場内には飲食店が40店しかなく、一度に食事できるのは約6000人にもかかわらず、混雑時の1日最大入場者は20万人と予想されています。
 しかも高級和食店の弁当は3000円以上、そばが1000円、ファストフードのハンバーガーセットも1000円、一部のミネラルウオーターは600円だそうで、協会は「価格は市場価格が基本。特別に高くはない」と話しているそうですが、どう考えても出店レストランの利益優先でしょう。(笑)

 このような規制は「大阪万博」や「浜名湖花博」などでも行われたことがなく、「東京ディズニーランド」でも弁当やペットボトルの持ち込みは可能となっており、園外に特設された「ピクニックエリア」と呼ばれるエリアで食べればいいそうです。

 食べ物と飲み物の持ち込み規制と売店の混雑により、「熱中症」や空腹による「急性貧血症」などの病気になる来場者がでれば、それこそ博覧会協会の管理責任が大きく問われる事態になるのではないでしょうか。
 今回の内覧会により、以前から予想されていた問題が現実のものとなったわけですから、博覧会協会には勇気ある「方針変更」を望みたいと思います。
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by azarashi_salad | 2005-03-20 15:21 | 社会 <:/p>

♪ブログの更新再開にあたって

●今年に入ってから記事更新を一時停止していた(といいながら「無駄話」はアップし続けていた)「あざらしサラダ」ですが、先日の記事(♪ネット環境を構築しました)でお知らせしたとおり、そろそろ本格的に更新を再開したいと考えています。

○まず、本格的に更新を再開するにあたって、これまで(WinXPパソコン&ケーブルテレビの常時接続)に比べて大きく見劣りするネット環境に対応するため、ブログのデザインを動作が軽いデザインに変更しました。
 一方、(OSにlinuxを使用している)「Zaurus」を使用しているためか「エキサイトブログにコメントが送れない」「ココログにコメントすると文字化けする」「どのブログにもTBが送れない」など、いくつかの問題があることも明らかになりましたので、その対応について検討が必要となっています。

 このため、更新の再開にあたっては、当面以下の方法で運営したいと考えていますので、あらかじめご了承願います。

1、「Zaurus」から投稿する記事には他記事へのリンクをはりません。
2、「Zaurus」からは他ブログにTBしません(できません、笑)。
3、記事中で紹介したブログ記事には、ネットカフェを利用しているときなど、可能なときにまとめてリンクを貼った上でTBを送信します。
4、エキサイトブログ及びココログを利用されているブログには、ネットカフェを利用しているときなど、可能なときにまとめてコメントします。


 以上の方法でしばらく試行的に運営してみた上で、問題がなければ4月頃から本格的に更新を再開したいと考えていますので、よろしくご理解をお願いします。
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by azarashi_salad | 2005-03-20 15:20 | 無駄話 <:/p>

☆九州北部の地震について

●福岡と佐賀で震度6弱=震源は福岡県西方[ 03月20日 11時27分 ]共同通信

 20日午前10時53分ごろ、福岡県と佐賀県南部で震度6弱の地震があったそうだ。震源地は福岡県西方沖で震源は極めて浅く、マグニチュード(M)は7・0と推定されるとか。

○猫手企画@新聞屋さんの記事「マグニチュードは7.0」で知ったニュースです。

 この地震の影響で、山陽新幹線が一時運転をストップしたり、すでに家屋崩壊の被害や複数のけが人がでていると報じられるなど、被害状況も次第に明らかになりつつあるようです。

 一方、猫手企画@新聞屋さんの地震直後の記事「九州北部で震度6弱地震発生!」によると「NTT一般回線、FOMA携帯電話とも私のところは不通状態。福岡の両親との連絡も取れないのが不安。災害ダイヤル171も通話途中で断線するし、NTTに限らず、通信業者の災害対策が中越地震から学んだことは何だったのか厳しく検証していかなくてはならない。その一方、私は自宅ではIP電話に加入しているが、経由では岡山からの電話は届いたのだが。もちろんこのエントリもインターネットがつながるから入れている訳で、先日のエントリとは逆の事態に驚いている。私も家族も大丈夫。まずは一報まで。」とのこと。

○被災直後には、自分たちの「無事」を伝えたくてもなかなか連絡が付かないものですが、ブログを開設されている方は、このように記事の更新により「無事」を伝えることも可能ですね。こういうネットの使い方も参考になります。
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by azarashi_salad | 2005-03-20 15:20 | 社会 <:/p>