カテゴリ:私説( 55 )

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△”しきい値”と”バッファー”が私たちの安全を支えているのでは

●日航トラブルをめぐって(朝日新聞:かがく批評室)
 水は100℃、ヘリウムはマイナス269℃で沸騰し、カエルは気温10℃以下になると冬眠に入る。物事には、それまでとはちがう反応が起きるギリギリの値がある。そういう値のことを、化学や技術の世界では「しきい値」と呼ぶ。学生時代に実験室に入っていた人は、いろんな場面で耳にしてきた言葉だろう。
 このところ、日本航空のトラブルが多発している。部品の経年劣化が原因なのか、作業体制に問題があるのか詳しいことはわからない。しかしトラブルのニュースを見るたび、経営合理化の記事を読むたび、つい「しきい値」を思い浮かべる。仕事にも、作業内容や労働時間などの条件が一定の値をこえると、集中力の低下を招く「しきい値」があるはずだ。(ノンフィクション作家  中野不二男)

●空間的・時間的バッファー(中日新聞:サロン)
 理系の私がよく使う用語に、バッファー(buffer)がある。もともと「衝撃や苦痛を和らげるもの」という意味なのだが、さまざまな場面で使われてきた。
 高校の化学では、酸性とアルカリ性を示すpHを一定に保つ溶液として登場する。生物や化学物質にはpHに敏感なものが多く、その制御が必要だからだ。人間の体内でいえば血液がそうで、外から異物が入り込んでも、致命的な影響が生じない働きをする。
 また、コンピューターのシステムで、データを一時的にためておく記憶装置に用いられる。さらに転じて、調停役をする人の意味でも使われる。人間関係を潤滑にする人物を指し、これが国家のあいだでは緩衝国という用法になる。バッファーの使用例はたいへんに広い。
 私自身は、空間的バッファーと時間的バッファーという使いかたをする。仕事部屋に資料があふれないためには、空間的なバッファーの確保が必要だ。
 たとえば、机の上に一時的にものを置くスペースをあらかじめ作っておく。ものがあふれかえった仕事場では、書類を広げることすらできないからだ。
 最初に、資料が自由自在に移動できるシステムを準備し、複数の仕事を同時並行にこなしてゆく。空きが多いほうが、明らかに知的生産のスピードアップにつながる。
 バッファーの用意は、時間の上でも重要だ。たとえば、原稿の締め切り日が決まったら、少し早めに書き上げておく。そして余った時間に、ゆっくりと中身を熟成する。
 こうすると、バッファー時間は、すでに書き上げた内容がどんどん改善される楽しみになる。締め切りに追われながら書いていた時には出てこないような、斬新な発想も生まれてこよう。
 空間的な、そして時間的なバッファーを差しはさむ方法は、非常に便利な理系的技術である。私の経験では、バッファーを全体の一割ほど確保しておくのが理想的だ。すぐにできる簡単な作業から、バッファーを入れてみてはいかがだろうか。  (京都大学大学院 人間・環境学研究科教授 鎌田 浩毅)

○前回のエントリーで、「乱暴に言えばコストと安全は比例する」と指摘したが、今回のプール事故に限らず、このところの事故やトラブルのニュースを見るたびに、つくづくコスト・効率一辺倒の施策により私たちの安全が脅かされているという実感を抱く。

 もちろん、これまでの仕事・組織のあり方を見直し、本当に無駄な部分があれば削ることも必要であり、ある程度はコストや効率を追求するのは当然かも知れないが、頻発する様々な事故やトラブルを通じて、私たちはそうしたコスト・効率重視にも限度があるということも学ばなければいけないのではないだろうか。

 始めに紹介したのは、2005年4月19日付けの朝日新聞(夕刊)に掲載されていたコラムだが、事故やトラブルを起こしたケースは、いずれもこの”しきい値”を超えていたのではないかと思われる。
 ただし、残念なことに私たちはそれを具体的に証明する術を持っておらず、あくまで経験則でしかそれを語れないということである。

 以前に畑村洋太郎先生が研究する「失敗学」のセミナーを受講したことがあるが、その際に「どうやって”しきい値”を具体化して安全を担保していけばいいのか」と質問したところ、講師の方からは「現場で働く者の中から安全に関する専門家を養成し、彼らに権限を持たせることが必要」との回答をいただいた。

 つまり、現場から技術に詳しく口うるさい専門家を引っ張り出してきて、彼らに安全に関する権限を持たせ、ともすれば「まだコストカットできるだろう、効率化できるだろう」と考えがちな管理・経営責任者の暴走を、安全を担保できる”しきい値”の手前でくい止めることが必要と言うことだと思う。

 ただし、これは現場と経営が同じ組織であれば可能だが、例えば今回事故を起こしたプールのように、施設を運営する組織と現場を預かる組織が全く別組織の場合は難しい。
 そう考えると、今回のように人命に大きくかかわる分野においては業務委託が適切だったのか、という根底から見直すことも必要かも知れない。

○一方、後半で紹介する”バッファー”についても、私たちは今一度その重要性を認識すべきではないかと考えている。

 前回のエントリーで「具体的な成果が表だって見えない安全コストをいかに評価するか」「短期的なコスト削減が長い目で見て本当にコスト削減となっているかについて、私たちはもっと検証する必要がある」と書いた。

 ”バッファー”とは言い換えれば”ゆとり・余裕・あそび”のことであり、一見コスト・効率重視とは相反するものである。
 しかし、鎌田教授が説明する「空きが多いほうが、明らかに知的生産のスピードアップにつながる」「バッファー時間は、すでに書き上げた内容がどんどん改善される」のように、空間や時間を”しきい値”ぎりぎりまで切りつめるのではなく、「バッファーを全体の一割ほど確保」した方が、長い目で見れば効率的であり質の向上にも繋がる。

 そのように考えると、一見何の役にも立っていないように見える”バッファー”だが、実は仕事全体の中では非常に重要な役割を担っているとも考えられるわけで、これはなにも空間と時間だけに限らず、あらゆるケースに応用できる考え方ではないだろうか。

○私たちの回りを見渡せば、実はこのような”しきい値”と”バッファー”により安全が支えられてる分野ばかりのような気がする。

 そして、事故やトラブルが多発している分野では、行き過ぎたコストカットと効率化により本来必要な”バッファー”までもが失われ、すでに安全を担保できる”しきい値”を超えているのではないか。

 そうした視点で、一つ一つの事故やトラブルを「他山の石」とし、学んでいきたいと考えている。
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by azarashi_salad | 2006-08-02 10:58 | 私説 | Comments(4) <:/p>

▽ブログのチカラ。

a0008617_1301894.gif●このところ、ブログというツールが持つ「チカラ」について、少し「怖さ」を感じるときがある。

○彰の介さんのブログ記事(ネット社会の漠然とした不安)では、「ネットの片隅でひとりごちているこんな小さなブログでも、もしかして、大きな過ちをおこす原因となってしまわないか」と、個人でも情報発信できるブログというツールが持つ「チカラ」についての漠然とした不安を問題提起している。

 また、ガ島通信さんのブログ記事(ネットメディアは無免許運転の暴走車なのかもしれない)では、ブログなどのネットがメディア化する事に伴い、ユーザーが好むと好まざるとにかかわらずパワーを持つことになるので、「メディアのパワーと危険性をある程度理解している私には伝わりますが、果たしてネットメディアにかかわる人たちやエンジニアには伝わるのか」と問題提起している。

 これらのエントリーは、いずれもブログというツールが持つ「外向きのチカラ」について問題提起したものだが、そうではなくて、私が漠然と不安に感じているのはブログの持つ「内向きのチカラ」についてである。

○私がこのブログを始めてから間もなく2年になるが、この間、ブログで知り合った方々が、人生の大きな転機を迎える場面を何度か目の当たりにしてきた。

 そうした方々に対しては「勇気があるなあ」と尊敬する反面、もしかしてブログというツールがその勇気を「後押し」しているのではないだろうかと、ブログという表現するツールが持つ「内向きのチカラ」を何となく感じていた。

 そこで、ある方に「ブログという表現するツールのパワーというか、人生の後押しをする「チカラ」が存在するように思えてなりません」とメールしたところ、その方からは「表現することは気づくことと密接であるし、変容を促す「チカラ」である」「ただし、その人の人生に変容が必要でないならば、そもそも表現ということを求めないのでは」との返答を頂いた。

 つまり、彼らにはもともと「自分自身あるいはその回りの環境を変えたい」という強い「思い」が存在しており、無意識か意識的かにかかわらず、ブログというツールを使ってそうした「思い」を表現し続けることにより、心の内にある「思い」をより強く自覚したのではないかというのだ。

○こうした「内向きのチカラ」は、ひとが生きていく上で多分に大きな「勇気」を与えてくれる場合が多いと思うのだが、このエントリーの冒頭で「少し怖さを感じる」と書いた理由は、私を含めて、こうした「内向きのチカラ」をきちんと自覚してブログを使用している方ばかりだろうか、と疑問に思ったからだ。

 というのも、始めに紹介したようなブログが持つ「外向きのチカラ」については、このブログでも何度か取り上げてきたし、私が訪問するブログでも何度も見てきたが、「内向きのチカラ」については、これまで余り目にしてこなかったような気がする。
(もちろん、ネット上には星の数ほどのブログがあるので、たまたま私が目にしなかっただけかもしれないが)

 だから、誰でも簡単に情報発信できるブログというツールは、一方では書き手の心の内にある「思い」を表現できるツールでもあり、それは、時として現実の生活を変えるほどの行動を「後押し」することもありうるということを、あらためて書き留めておこうと思った次第である。
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by azarashi_salad | 2006-01-09 13:33 | 私説 | Comments(10) <:/p>

△トラックバックとコメントについて

a0008617_13585519.gif●新年を迎えて、あらためてブログにおけるトラックバックとコメントについて考えてみた。

○SAMURAI WEB(猫のひとりごと)さんのエントリー(トラックバックに関する文化)で、「絵文禄ことのは」さんによるトラックバック分類が、以下のとおり4とおりで紹介されている。
1.言及リンク文化圏
2.関連仲間文化圏
3.ごあいさつ文化圏
4.spam文化圏

 実は、このブログ「あざらしサラダ」では、4の「spam文化圏」以外のTBは何でも受け入れているので、どちらかといえば「猫のひとりごと」さんの方針に近いと思う。

 一方、TBとは本来、相手の記事に言及したことを知らせるためのものであるから、1の「言及リンク文化圏」以外のTBについて、不快に感じる方もいるかもしれない。

 今回、エキサイトブログやライブドアブログが「言及(引用)なしトラックバックを弾く機能」を導入するのは、そうしたユーザーに対する配慮であろう。

 もちろん、こうした機能はブログの管理者が必要に応じて導入するものであるから、お互いのポリシーを尊重して不要なトラブルを避け、ブログを健全なコミュニケーションツールとするために好ましい機能だと思う。

○一方、湯川さんのブログ記事(コメント欄を荒らす人間の悲しさ)では、ブログにまれに寄せられる「ネガティブなコメント」について、「恐らくそうした人たちは、コメント欄を荒らすこと自体が目的なのだろう。建設的な議論をしたいわけではない。議論を通じて何かを学ぼうという思いはなく、相手をやり込めて優越感に浸りたいだけなのだろう。」と指摘している。

 こうした「ネガティブなコメント」について、湯川さんは以下の対処法を紹介している。
1、無視する
2、コメント欄を閉鎖する
3、心ないコメントを削除する
4、但し書きを掲載する
5、電話で話したり実際に会って誤解を解く

 このブログでも、ごくまれにそうした「ネガティブなコメント」が寄せられる場合があるが、基本的に2の「コメント欄閉鎖」と3の「コメント削除」はしていない。
 そのかわり、4の「ブロガーズ・マナー」をサイドバーに掲載するとともに、これ以上意見交換してもお互いの考え方に歩み寄りが得られないと判断した場合は、1のように「無視する」こともある。

 この対処法について、湯川さんは「可能であるならば無視するのがいい。そういう相手を変に論破してしまうと、そのことを逆恨みし根に持つかもしれない。しかし無視するには人間的な強さが必要だ。」と指摘する。

 私もこの考え方に同感で、意見が異なってもあまり論破しようとは考えないようにしている。(というかできない、笑)
 お互いの意見が異なっても、相手の主張の中からたとえわずかでも共感できる考えを吸収できればプラスなので、それ以上を求めないようにした方が精神的にも楽である。

○一方、5の「電話や対話で誤解を解く」方法はどうだろう。

 これも湯川さんが指摘しているとおり、コメントで執拗にからんでくる人は、ネット上の文章という1つの小さな断面だけで自らイメージを膨らませ、そのイメージに対して感情をぶつけてくるケースが多いのではないだろうか。

 ただし、先日のブロガー忘年会のときにも話題になったのだが、そのイメージが全く本人とかけ離れているかというとそうではなく、長くブログ記事を読んでいると、大体その書き手に近いイメージが作られるものである。

 したがって、会って上手く誤解が解ければいいのだが、却って反感を買う結果になったときは現実の危険を伴う恐れもあるので、個人的にはあまりお勧めしようとは思わない。

 やはり、現実に会ってみたいと思う方は、お互いに意見の違いがあっても相手の人格を尊重し、楽しい時間を共有できる方でなければと思う。
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by azarashi_salad | 2006-01-07 14:01 | 私説 | Comments(8) <:/p>

△「モーニングセット」とコミュニティーの関係

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●前回の記事(△「見舞い」のその後)で、私の地元高知の喫茶店では「モーニングセット」が豪華なことを紹介しましたが、この喫茶店に毎日通っているうちに「モーニングセット」が豪華なのには「ある理由」があるのではないか、と思うようになりました。

○2年ぶりに実家に戻った私が訪れたこの喫茶店は、20人ほどで満席となる小さな店のため、当然のように「相席」に案内されるわけです。

 そして、私が座ったボックスでコーヒーを飲んでいた方々は、みんな母が入院したことを知っており、私が東京から戻り「見舞い」を済ませたことを告げると、そろって「お母さんは元気か」「いつ退院できるのか」と心配してくれました。

 中には、すでに「見舞い」に訪れてくれていた方もいて本当に感謝してやみませんが、こうしたときに「遠くの家族より近くの他人」と実感してしまいます。

○ところで周りを見わたすと、私の母と同い年くらいの近所に住む方々が、まるでお気に入りのブログでコミュニケーションを楽しむかのように、気の合う仲間同士でのおしゃべりを楽しんでいます。

 そう、この喫茶店に訪れる常連客の方々は、ただコーヒーを飲むためだけにやってくるのではなく、ここに集まる客同士で会話を楽しむ、いわゆるコミュニケーションを最大の目的としているのです。

 以前、何かの本で「人は一日に数千語を話さないとストレスがたまる」と読んだことがありますが、私の母のように一人暮らしをしている高齢者にしてみれば、定年ですでに仕事を辞めているため誰かと会話をする機会などあまりありません。
 そのため、こうしたコミュニティーでのおしゃべりが、一日の中で会話をする唯一の場になっているというわけです。

○毎日こうした光景を見ているうちに、この喫茶店ではほとんどの常連客がゆっくりとおしゃべりを楽しもうと長居をするから、「モーニングセット」も豪華でボリュームが必要なのではないだろうか、と私は思うようになりました。

 巷では2007年問題と言われていますが、あと2年もすると団塊世代の大量退職が始まり、徐々に定年で仕事を辞めた方々が街に田舎に溢れることになります。
 私の母のような一人暮らしの高齢者にとっては、退職後もどうやってコミュニケーションの場(機会)を確保するかが、大きな問題になるような気がします。

その時、もしかすると今回紹介したような「小さな喫茶店」が、高齢者たちのコミュニティーとして注目されるようになるかもしれません。
 そして、あと数年もすれば全国で豪華な「モーニングセット」が流行っているような気すらするのです、笑。

【追記】
 写真は、高知駅の売店で買った「焼き鯖すし」だが、最近高知で流行っているらしい。
 高知名物の「皿鉢料理」には大体「鯖の姿すし」が乗っているが、鯖は「いたみ」が早いため二日目は炙って食べる。
 この「焼き鯖すし」は、お弁当向けに工夫したのだろうか、始めから焼いた状態で販売している。
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by azarashi_salad | 2005-08-19 22:56 | 私説 | Comments(2) <:/p>

【東京都災害対策要員の不祥事についてヒューマンエラーの観点から考える】

●<震度5強地震>当日待機当番職員21人、都庁に駆けつけず(毎日新聞:7月29日)
 東京都内で震度5強を記録する地震が発生した際に、都庁から徒歩30分以内にある災害対策住宅に入居し、当日待機当番だった職員34人のうち21人が都庁に駆けつけなかったそうだ。
 マニュアルでは、震度5強以上の場合には自主的に駆けつけることになっていたが、ポケットベルを鳴らしたにもかかわらず21人が登庁しなかったとか。

○災害補助要員として都庁周辺に破格の家賃で住んでいながら、東京を襲った震度5強の地震が発生した時に登庁しなかった職員に対して、マスコミはこぞって批判をつよめています。

 すでに多くのマスコミが報じているとおり、彼らは災害時に緊急出勤することを条件にこの住宅に住ませて貰っているので「外出時にポケベルを持っていなかった」「ポケベルの電池が切れていた」などの言い訳は通用するはずもなく、私も彼らが批判されること自体は当然だと思います。

 ただ私が気になるのは、「登庁の必要がない」として自ら自宅で待機していた石原都知事が、組織のトップであるにもかかわらず率先して部下を批判していることに対して、どのマスコミも知事の管理責任を追及していないことです。

 「隗より始めよ」と言うことわざがありますが、日本でもかつてはトップに立つ者が率先して見本を示す「美徳」が存在したのですが、近頃はこうした「美徳」はもはや私語になりつつあるのでしょうか。

○ところで、「決定版:失敗学の法則」の著者である畑村洋太郎氏は、失敗や事件に色々な背景があるとき、ただ失敗した当事者を責め立てるだけで一件落着にするのではなく、失敗や事故が起きた原因や要因を正確に捉えることが大事だと指摘しています。

 今日、テレビで報道されたインタビューでは、災害対策要員の家族が「抜き打ち訓練でもいつも三割ぐらいしか集まらない」と発言していましたが、これが事実であるならば、今回の緊急参集要請に約三割(34名中13名)しか集まらなかったことは、あらかじめ予測できたのではないでしょうか。

 私は、これまでの訓練で結集率が悪かったにもかかわらず、東京都がなんら有効な対策を講じていなかったのであれば、今回参集しなかった職員と同様(あるいはそれ以上)に問題ではないかと思うのです。

○また畑村氏は、失敗の事実が明るみに出たときに組織のトップは「知らなかった」では済まされない。ましてや「悪いのは部下だ」などと言って自分だけ責任逃れするのはもってのほかだ、と指摘しています。

 2000年に集団食中毒事件をおこした雪印乳業の社長は、記者会見で「バルブの洗浄が規定通り行われていなかった」ことを明らかにした工場長に対して、「それは本当か!」と詰めより、さらにはマスコミに対して「私は寝ていないんだ」と叫ぶ醜態をさらしました。

 先日のJR福知山線脱線事故でも、JR西日本の社長は記者会見の場で「職員が事故当日にボーリング大会や宴会をしていた」事実が明らかにされたときに「信じられない」と発言し、多くの市民のひんしゅくを買ったことは記憶に新しいできごとです。

 私には、今回の石原都知事の対応もこれらの社長同様、組織のトップとしては相応しくない対応に思えて仕方がないのですが、どうしてマスコミ各社は石原都知事に対して何の追及もしないのでしょうか。

【追記】
○誤解のないようお断りしておきますが、私は今回の問題を起こした都の職員を擁護するつもりは全くありません。
 災害対策という市民の生命にかかわる重要な役割を承知の上で、自ら希望して入居したにもかかわらず、その任務を果たさなかった彼らは、災害対策住宅に入居する資格はないと思います。

 ただ、再発防止という観点で考えた場合、本当に彼ら当事者以外に問題がなかったかについても検証が必要で、インタビュー発言にもあったように、訓練時から問題があることを知りながら有効な対策を講じないような組織は、たとえ今回の入居者たちを入れ替えても、きっと別の問題を起こすに違いないと思うからです。

 その意味でも東京都という組織をあずかっている石原知事の役割は重要で、「私は悪くないよ」というような問題ではないと理解した対応が求められるのではないでしょうか。
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by azarashi_salad | 2005-08-07 13:14 | 私説 | Comments(0) <:/p>

【航空産業のヒューマンエラーについて考える(2)】

●それでは、航空産業がこうした「成熟期」から「衰退期」への転換期にあるのだとすれば、致命的な大失敗を防ぐためにどのような対策を講じればいいのでしょうか。
 
○畑村氏は、技術(産業)の社会的重要度は「成熟期」の手前でピークを迎えるため、経営者はそのターニングポイントをしっかり見極めて適切に対処することが必要だ、と指摘しています。

 つまり、今後は航空産業もこれまでのような右肩上がりの成長は期待できないので、社会から最も期待されている「安全」を担保しながら、徐々にスリム化を図らなければならない、ということではないでしょうか。
 とすると、限られた人材や資金をどの分野に集中させるか考えた場合、キーワードは「サービスの向上」ではなくて「安全の担保」であることが見えてきます。

 したがって、私たちも一つ一つのミスを表面的に批判するマスコミ報道に踊らされることなく、航空産業が「安全分野」に人材と資金を集中しようとしているか、チェックすることが必要ではないでしょうか。

○話を先日の逆噴射装置トラブルに戻すと、今回のトラブルは機体の塗装作業を委託された子会社の整備士と、飛行前に機体を確認したJALの整備士との間で起きた「ヒューマンエラー」といえますが、畑村氏によると、こうした「ヒューマンエラー」は細分化された組織の中で発生するのだそうです。

 つまり、細分化された組織では各々が自分の担当の仕事のことしか考えず、それが全体の中でどういう意味を持つのかを考えなくなるというのです。
 さらに、各部署は決められた範囲内の仕事だけを全うしようとしてお互いの接点が無くなり、その接点が徐々に広がって「隙間」を生み出し、この「隙間」は誰も手出しをしないから連携が寸断されて失敗が発生するのだとか。

 今回のトラブルも、まさに双方の整備士の「隙間」で発生した「ヒューマンエラー」であり、畑村氏は、こうした「ヒューマンエラー」は「隙間」を埋める努力さえしていれば防ぐことができるため、「まさか」ではなくて「当然」の結果なのだと指摘しています。

○では、こうした「ヒューマンエラー」を防ぐためには、具体的にどのような対策を講じればいいのでしょうか。これについて畑村氏は、具体例としてトヨタの「チーフエンジニア」制度を紹介しています。

 つまり、細分化された組織では各々が自分の担当の仕事のことしか考えないため、仕事の全体を見渡してチェックする人材が必要になるわけですが、それを任せるのが「チーフエンジニア」というわけです。
 ただし、この「チーフエンジニア」は一つのシステムをゼロから立ち上げた経験だけでなく、失敗情報も含めたくさんの知恵を持ち、全ての仕組みを知っている人材でなければならない、とも指摘しています。

○その後、ネットで検索して分かったことですが、もともとJALには一つの機体を最後まで責任持って整備する「機付整備士」という制度があったのだそうです。

 これは、520名の犠牲者を出した「123便事故」が起きた1985年に、当時のJALの最高経営会議が機材の安全性を高めることを目的に発足した制度だそうですが、その後はコスト削減や効率の追求のために「機付整備士制度を個人から組織で行う体制に変える」方針に変更し、「機付整備士」制度は2003年に廃止されたそうです。
 この方針変更に伴い機体整備が細分化されたのであれば、現在JALで多発している整備トラブルも、まさに畑村氏が指摘するとおり起きるべくして起きた「当然」の結果と言っても良いのかも知れません。

 にもかかわらず、今回JALが公表した再発防止対策は「整備後にピンを抜いたことを目視確認するよう整備規定を改める」と、マニュアルの改正だけで片づけようとしていますが、これで本当に今回のような「ヒューマンエラー」を防ぐことができるのでしょうか。
 もう一度、多くの犠牲者を出す事故を経験してからでは遅いのですから、「機付整備士」制度を復活させるなど、早急に有効な再発防止対策を講じるべきと思うのですが・・・。
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by azarashi_salad | 2005-08-07 13:13 | 私説 | Comments(0) <:/p>

【航空産業のヒューマンエラーについて考える(1)】

●前回の記事(▼これは危険なトラブルだ)では、JAL機の逆噴射装置トラブルを取り上げました。日本航空の整備ミス続発や羽田空港での管制ミスなど、このところ航空産業のあらゆる現場においてミスやトラブルが後を絶ちませんが、これはなぜでしょうか。

○ベストセラーとなった「失敗学のすすめ」の著者である畑村洋太郎氏(東大名誉教授)の著書「決定版:失敗学の法則」(文春文庫)に、そのヒントが隠されているような気がします。

 畑村氏は、本書の中で「一つの技術、産業の寿命はおよそ30年」と指摘しています。つまり、ある技術(産業)が少しずつ成長する「萌芽期」から多くの優秀な人材と潤沢な資金が投入される「発展期」を経て、さらには多くの経験をもとに利益と効率を追求し始める「成熟期」までの期間は、どの産業分野を見ても約30年だというのです。

 これを航空産業に当てはめると、162名の死者を出した「雫石事故」が起きたのが1971年ですから、これを「萌芽期」とすると30年後は2001年になります。
 この間、航空機のジェット化(大型化)や日本全土を覆う航空レーダー網の整備、さらには一県一空港ともいわれる地方空港ネットワーク網の整備などに多額の人材と資金が投入された「発展期」を経て、各エアラインが利益と効率を追求するために子会社化や持ち株会社化などのリストラ・合理化を進めている現状は、まさに航空産業全体が「成熟期」のピークを越えたと言っても良いのではないでしょうか。

○畑村氏は、この「成熟期」には多くの成功とともに多くの「失敗の種」が発生しているが、これを正しく見極めて的確に対応しなければ致命的な大失敗を引き起こし、ついには「衰退期」へと突入すると警鐘を鳴らしています。

 ちなみに、近年の公共交通分野における事故やトラブルの多発に伴い、マスコミで紹介され有名になった言葉に「ハインリッヒの法則」というものがあります。
 これは、米国のハインリッヒ氏が労働災害の発生確率を分析したもので「1:29:300の法則」とも呼ばれ、「1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏にはケガはないがヒヤっとした300件の体験がある」というもので、近年はビジネスにおける失敗発生率としても活用されています。

 冒頭で紹介した航空産業の現場に表面化するミスやトラブルの多発こそ、まさに畑村氏が指摘する「失敗の種」であり、これを「ハインリッヒの法則」に当てはめると、すでに致命的な大失敗を引き起こす前の「予兆」と言えるのかも知れません。

○では、どうして「成熟期」には多くの「失敗の種」が発生するのでしょうか。これについて畑村氏は、マニュアル化による「技術の低下」と「人材の質の低下」を指摘しています。

 マニュアル化は、一見すると大変効率よく見えるのですが、その反面マニュアルに書かれていること以外は許されない、ということでもあります。
 つまり、マニュアル化により多くの「無駄」(あそび)をそぎ落として簡略化した結果、技術の脈略に融通性がなくなり硬直化してしまう、というデメリットが生じているというのです。

 また、人材に対してもマニュアルに沿った行動のみをとるように教育した結果、マニュアルに書かれた範囲内でしか誰も経験しなくなり、技術に対する真の理解ができない人材ばかりを生み出してしまったと指摘しています。
 そして、こうした人材は予期せぬ事態に的確に対応できないため大失敗を引き起こし、その結果、組織は致命傷を負って「衰退期」へと突入するというのです。

○このブログでも、マニュアル化の弊害として「思考の停止」を問題提起したことがありますが、私たちの身の回りにおいても、「無駄」(あそび)を無くすことばかりにとらわれすぎていないか、何ごともマニュアルを定めるだけで片づけようとしていないか、もう一度点検することが必要ではないでしょうか。

【航空産業のヒューマンエラーについて考える(2)】に続く。
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by azarashi_salad | 2005-08-07 13:13 | 私説 | Comments(0) <:/p>

【企業人の個人的情報発信のメリットについて考える】

●ブログタイプに見る日本のブログブームというもの(FPN:4月28日)

 日本における守秘義務の定義は限りなくグレー。
 日本の「仕事」の定義は、その会社における人格が、私生活の人格ともオーバーラップしているようなところもありますから、この守秘義務のグレーな定義が、自動的にネットでの情報発信に対する後ろめたさにつながっている印象もあります。(中略)
 ただ、個人的には大企業に属していた人間なので、大企業の人にも是非個人情報発信の価値を分かってほしいなぁ、などと思ってしまうわけですが、果たしてこの流れを支援するにはどうすれば良いのでしょうか?


○FPNメンバーの徳力さんのこの問題提起について考えて見ました。

 雪印、三菱、日本航空、JR西日本。いずれも日本を代表する大企業ですが、国民の安全に直結すか事故や不祥事を起こして、企業イメージを大きく落としてしまいました。

 これらの企業に共通する特徴として、組織の中での風通しの悪さが指摘されています。
 「現場」の問題意識が組織のトップに正しく伝わらず、あるいは組織のトップが正しく理解せず、最終的に大きな事故や不祥事へと結び付いたのではないかと言われています。

 ならば、ブログを使って企業人が「現場」から個人的に情報発信することにより、こうした事故や不祥事を未然に防ぐことができないものでしょうか。

 もちろん企業に守秘義務がある以上、個人が発信できる情報は限られるかも知れませんが、ブログを通じて組織の外から問題意識を訴えることにより、風通しの悪さを補えるのではないかと思うのです。

○一方で、こうした不祥事や事故を起こした企業にしてみれば、一度悪化した企業イメージを回復するのは並大抵ではありません。
 ましてや、JR西日本に対する報道を見ても分かる通り、マスコミは、これらの企業に対する悪い情報を取捨選択して伝える傾向にあります。

 したがって、こうした逆風の中では、マスコミに頼ることなく「現場」から積極的に情報発信して、ユーザーの信頼を取り戻すことも必要ではないでしょうか。

 もちろん、こうした「現場」からの情報発信を実現するためには、守秘義務を徹底する一方で匿名性を確保するなど、いろいろと課題のクリアが必要だとは思いますが、「現場」で働く者にしてみれば、居酒屋で愚痴をこぼすよりもブログを書く方が建設的ではないかと思っています。

 まだ、頭の中がうまくまとまっていませんが、
 「現場」にとってのメリット・デメリット
 「組織」にとってのメリット・デメリット
 「社会」にとってのメリット・デメリット
を整理して、もう少しこの問題について考えてみたいと思います。

【5/29:一部修正】
 分かりにくい中途半端な文章と自覚していますので、少しづつ修正していきたいと思います。
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by azarashi_salad | 2005-05-29 13:48 | 私説 | Comments(0) <:/p>

【ブログの現状(「現実の社会」を意識したコミュニケーション)について考える】

●小島さんのブログ「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」からTBして頂いたエントリー(Webサイトの現状)や松岡さんのブログ「すちゃらかな日常」からTBして頂いたエントリー(匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?)を拝読し、今回は「ブログの現状」について私なりに考えていることを書いてみたいと思います。

○少し前、某大学の教授をお招きした講演会に参加しました。
 この講演会では「社会的ネットワークの役割」をメインテーマに「人とのつながり」について詳しく説明して頂いたのですが、その中で、教授は渡辺深氏の著書「転職のすすめ」をとりあげて、次のとおり紹介しています。
①社会資本としてのネットワークは、情報経路を構造化し、役立つ情報への接近を可能にしたり、影響力のある他社への接近によって、労働者のキャリア形成において重要な役割を果たす。
②労働者と職業を結びつける就職情報は、労働市場に広く行き渡っているのではなく、社会関係に埋め込まれているので、労働者のネットワークがキャリア形成にとって戦略的な資源となる。
③日本の男性労働者では、強い紐帯が多くの情報や望ましい転職結果をもたらすという傾向がみられた。頻繁に会い、親密度の高い、強い紐帯を形成することが転職において戦略的な資源になることが明らかである。しかしながら、このような強い紐帯を中心にした企業社会は変動しつつあり、全体として「閉鎖型ネットワーク」から「開放型ネットワーク」への移行期にあると考えられる。
④これから重要になるのは、強い紐帯だけではなく、弱い紐帯を通じて結ばれる、自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々との出会いという弱い紐帯がキャリア形成において大きな効果を発揮する時代になるだろう。

○この教授は、あくまで「現実の社会」における「人的ネットワーク」について説明していたのですが、この話を聞いた私は、真っ先に「ブログ」を思い浮かべてしまいました、笑。

 ①で述べられている「役立つ情報への接近」については、もちろんインターネットの普及を避けては語ることが出来ません。
 一方、②で述べられている「社会関係に埋め込まれている」とは、「ネットの社会」ではなくて、あくまで「現実の社会」のことを指しています。
 そして、その「現実の社会」が③で述べられているように「閉鎖型ネットワーク」から「開放型ネットワーク」への移行期にあるというのです。
 このような社会状況をふまえれば、④で述べられている「自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々との出会い」のためには、不特定多数の方々とのコミュニケーションを可能とするブログというツールが大きな役割を果たすのではないか、と私は思っています。

 実際、私はこれまでの自分の交流関係ではありえなかった多くの方々と、ブログを通じて知り合うことができました。そうした方々の中には、メールのやり取りをするようになった方もいれば、実際にお会いした方やこれからお会いする予定の方々もいます。まさにブログというツールのおかげで「弱い紐帯を通じて結ばれる人的ネットワーク」が構築されたと言っても過言ではありません。

 ただし、ブログがこうしたコミュニケーションツールとして機能するためには、ネット上の言論とはいえ、やはり「現実の社会」を意識したコミュニケーションが欠かせないと思いますが、これに対して「ブログの現状」はどうでしょうか。
 このブログがリンクしているだけでも、小島さん大西さんめたかさんガ島通信さん松岡さんのブログで、ブログにおけるコミュニケーションのあり方について語られています。
 しかし、これらの記事に書かれている現状を見る限りでは「現実の社会」を意識したコミュニケーションはまだまだ少ないように思われて、少しもったいないような気がします。

○繰り返しますが、ブログは「自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々」との出会いを可能にする非常に優れたコミュニケーションツールです。
 ただし、これからの時代ますます重要になると言われている「弱い紐帯を通じて結ばれる人的ネットワーク」を構築するためには、ブログにおけるコミュニケーションを「現実の社会」を意識したコミュニケーションへと変えていくことが不可欠だと思います。
 そして、そのための仕組みをブログ全体でどのようにして作っていくのか、私たちブロガーにアイデアが求められているのかも知れません。

【5/22:追記】
 なんか、大層なテーマをつけたわりにはあまり中身がなくてすみません。m(_ _)m
 こちらの、めたかさんの記事と併せて読んで頂くことをお勧めします。
●ネットも「現実」の一部である(at most countable:2005年05月19日)
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by azarashi_salad | 2005-05-21 13:47 | 私説 | Comments(0) <:/p>

【尼崎脱線事故など交通トラブルの背景について考える】

●尼崎で起きたJR西日本の断線事故については、事故原因の検証と早急な事故再発防止対策が求められていると思いますが、単に事故を起こした運転手やJR西日本の個別責任の追及だけにとどまらず、このような事故が様々な分野で多発する背景として、安全を犠牲にしたコスト削減や効率化、必要以上のスピード化社会などが影響しているのではないか、という報道も見受けられます。

○北海道新聞の現役記者である高田昌幸さんのブログ「札幌から ニュースの現場で考えること」に書かれていた記事「JR福知山線の事故と、リストラ社会」は、今回の事故と少し前まで連日報道されていた日本航空トラブルを関連づけ、日本のリストラ社会に焦点を当てて事故が発生する「背景」を考察しています。
 私も、漠然ですがこの意見に同感でして「上手く根拠を示せないのですが、事故=余裕=コスト=定時性=スピード=効率化=リストラ=成績主義=虚偽報告・・・・・これらのキーワードがどこかでつながるような」とコメントしました。

 これに関して、4月19日付けの朝日新聞(夕刊)に掲載されていた中野不二男氏(ノンフィクション作家)の記事「かがく批評室:日航トラブルをめぐって」が、まさに「わが意を得たり」という内容でしたので、以下に記事の一部を紹介したいと思います。

 水は100℃、ヘリウムはマイナス269℃で沸騰し、カエルは気温10℃以下になると冬眠に入る。物事には、それまでとはちがう反応が起きるギリギリの値がある。そういう値のことを、化学や技術の世界では「しきい値」と呼ぶ。学生時代に実験室に入っていた人は、いろんな場面で耳にしてきた言葉だろう。
 このところ、日本航空のトラブルが多発している。部品の経年劣化が原因なのか、作業体制に問題があるのか詳しいことはわからない。しかしトラブルのニュースを見るたび、経営合理化の記事を読むたび、つい「しきい値」を思い浮かべる。仕事にも、作業内容や労働時間などの条件が一定の値をこえると、集中力の低下を招く「しきい値」があるはずだ。

○この記事は、今回起きた脱線事故の1週間前に掲載されていたものですが、これを書いた中野氏は、おそらく今回の事故についても「起こるべくして起きた」と思っているのではないでしょうか。
 以前にもこのブログで少し紹介しましたが、リストラ、合理化のかけ声のもと、本来効率化してはならない部分にまで「効率化」が進み、私は、これまで安全を支えてきた現場の「人間」がついに悲鳴を上げ始めたような気がしてなりません。

 朝日新聞記事の中で中野氏は、『航空機の機体であれ、ウラン溶液であれ、安全確保のためには絶対こえてはならない「しきい値」がある。科学や技術の産物を利用するうえで、それは譲ってはならない値のはずだ。そのために保守・運用する人間がいる。そして、その人間の集中力にも「しきい値」がある』とも述べています。

 今回の脱線事故に関しては、余りにもシビア(1秒単位?)な定時性を確保するために現場の「人間」に対して注意・指導を強化する一方、安全性を担保するための「システム」づくりをおざなりにしてきたJR西日本の企業体質を疑問視する報道もあります。
 私はJR西日本の内部事情を知らないので、指導教育方針がどのような状況だったのか、安全を担保する「システム」が本当に不十分だったのか判断できません。
 しかし、『競争の激しい時代に入り、企業は効率だけが優先される体質になってしまった』という中野氏の指摘は、阪神電鉄や阪急電鉄としのぎを削っていたJR西日本に対しても当てはまるような気がします。

○さらに中野氏は、『日本の組織の特徴は、上に行けば行くほど科学や技術を理解できる人材が少なく、そうした具体的な認識が薄いことだ』と指摘しますが、JR西日本や日本航空だけでなく、これまで事故や不祥事を起こしてきた多くの企業に対しても当てはまるような気がします。
 最近の事例では、東武伊勢崎線の踏切事故が思い起こされますが、あの事故でも「機械」では出来ない秒単位の遮断機の上げ下げを、「人間」の努力だけに頼っていたことが明らかになっています。
 こうした企業の経営陣が、現場を支える「人間」の「しきい値」を一体どこまで把握していたのか、私は疑問に思います。さらには、北側国交相までもが「利用者は命を預けているわけで、事故を契機に運転士資格、教育の在り方を点検しないといけない」と「人間」の方を「カイゼン」しなければならない、とも受け取れるような発言をしていますが、日本という組織の指導者は、現場を支える「人間」の「しきい値」をどのように受け止めているのでしょうか。

 中野氏は『小さな組織である中小企業の技術の信頼性が、世界的にも高い評価を得ているのは、経営のトップに現場上がりが多いからだ。彼らは、たとえ効率を追求しても、こえてはならない「しきい値」をはっきりと認識している』と指摘しています。
 私は、すでに悲鳴を上げ始めた現場の「人間」の声に、企業の経営陣や政府、さらには私たち国民自身も気づかなければ、いつかまた、今回と同じ悲劇が繰り返されるような気がしてなりません。
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by azarashi_salad | 2005-04-29 13:37 | 私説 | Comments(0) <:/p>