2007年 06月 26日 <:/p>
▲こんなトップの下では
●<年金問題>「全職員、賞与の一部自主返納を」社保庁長官(6月25日21時58分配信 毎日新聞)
○このニュースを聞いて、子供の頃、HRの時間によく教師から言われた「連帯責任」を思い出してしまった、笑。
こんな話を支持する方もいるが、私は典型的なトップの部下に対する責任転嫁だと思う。
数千万円貰っている人が数百万円を返上しても生活に支障はないが、そうした方々が数十万円しか貰っていない人に対して数万円を返上しろと迫るとは、この国のトップと言われる連中の質もここまで落ちたか。
こんなトップ連中には誰もついて来ないのではないか、参院選の自民党の敗北が目に見えるような気が。
○社会保険庁の職員全員が遊びほうけて給料貰っているわけでもあるまいし、大半の職員は上司にこうしろと言われてただそれに従っていたにすぎないのではないか。
(こうした場合は、具体的な仕事のやり方を指示する通達なり業務連絡などが上局から現場に通知されるのが通常で、現場の職員はそれに従って仕事をし、従わないと業務命令違反で処分されることもあるものだが)
とすれば、そうした間違った仕事のやり方を指示した管理者の責任だろう。
(社会保険庁は、課長名で85年9月に各自治体の年金担当者に対して、入力済みの原簿(手書き年金台帳)を全て破棄せよと通知していたらしいが、これが事実なら大きな判断ミスの可能性がある)
ましてや、この春採用されたばかりの職員に何の罪があるというのだろうか。
○そういえば、しばらく前に「社員たちは悪くありません。私が悪いんです」と言い切った社長がいたが、調べてみたら破綻した山一証券の社長の言葉だった。
それを調べていたときに見つけたのが↓のメルマガ記事。
●責任絶対性の原則を徹底が、組織のリーダーの絶対課題
責任転嫁に走る
2年前のJR西日本・福知山線での電車の脱線転覆事故の直後に、常務が、置き石による脱線事故であると断言した時、「そんな馬鹿な」と思った。ラッシュ時に電車が脱線するような大きな石を、しかも目撃されずに置くことは困難であり、責任転嫁と思った。
そして、運転士がすごいスピ-ド違反をしたことが判明したあとの社長の発言を聞いて「これまで自分の失敗を認めたことがない男だな」と感じた。失敗を認めて謝ったことがないから、事故も自分の失敗と認めず、会社の体質に事故の根源があったと言いつのり、責任を社員に転嫁するような釈明をしたのだ。初代の社長は相談役とはいえ取締役であるのに評論家のような発言に終始した。
責任絶対性の原則をわきまえない役員たち
これらは、重要な組織原則である「責任絶対性の原則」をわきまえていないことを示す。その原則は「上司は部下への管理責任をもち、部下の行動の結果責任を負う」である。「管理責任」とは部下に指示や規則、それに社会的な規範を守らせることである。「結果責任」とは、「部下の不始末は上司の不始末」ということである。その上司には部下の直接の上司だけでなく、さらにその上の上司、そしてトップの社長までが含まれる。
これは組織人としての常識のはずである。「私は部下の行動や結果に責任をもちません」というような人間は管理者失格である。まともな会社なら、部長が部下の不始末が発覚したときに社長に「部門の体質の問題です。これから体質の改善に部門の全員でがんばります」と言えば、「なにを言っている。おまえはそれでも部長か」となり、ただちに解任されるであろう。それは責任を部下全員になすりつける卑劣かつ無責任な発言である。
でたらめ役員とまともな現場部門長
また、社長や役員が、社員のひきおこした不祥事の責任を認めない会社を、誰が信用するであろうか。また、そんな連中に誰がついてゆくであろうか。社員の不始末を自分の不始末と認めることで、はじめて、ぴしっとした管理と不祥事の防止への真剣な努力がなされるのである。さもなくば、それらの努力がおざなりとなり、会社の体質はどんどん悪化し、自分の不始末を部下の不始末とするような責任転嫁も横行する。
いずれにせよ、責任絶対性の原則をわきまえない社長や役員は、係長としても不適格なでたらめ人間といえよう。JR西日本の新しい社長、さらには、不祥事相次いだ日本航空の前社長や現社長なども、社員総懺悔をアピールし、意識改革研修などを社員に強制するが、これほど、でたらめで、無責任なことはない。
一報、JR西日本で、遺族などに対し悲痛な顔で自分の責任のように謝っていた社員たちははるかにまともな組織人といえよう。事故発生を知りながらボ-リングと宴会をした部門があったが、その非常識な行為を部門の体質のせいにせず、すべて自分の責任として謝った部門長も、社長たちよりは、よほどまともな組織人といえよう。いろんな批判ができようが、山一証券破たんのさいに号泣しながら、「社員たちは悪くありません。私が悪いんです」と言い切った社長は、立派だと思う。
【6/28:下線部を追記】
【6/29:青字部を追記】
社会保険庁の村瀬清司長官は25日夜、記者会見し、年金記録漏れ問題への反省の意を示すため、約1万7000人の全職員に夏季賞与の一部自主返納を求めることや、社会保険事務所長以上で退職したOBにも同等の寄付を求める考えを明らかにした。村瀬氏も賞与全額(約270万円)を返納する。全職員に自主返納を求めるのは初めてで、OB分も含めた返還額は合計約10億円に達するという。村瀬氏は「国民に心からおわびする。自主返納だが賛同いただけると思う」と語った。
長官以外の現役職員の返納額の目安は、審議官級の指定職が2分の1(5人、返納額100万円前後)▽課長級4分の1(9人以上、同40万~45万円)▽社保事務局長、同事務所長8分の1(354人、同15万~17万円)▽係長、事務所課長など10分の1(約1万人、同7万~13万円)▽一般職員20分の1(約6000人、同2万~3万円)。
また、OBも基礎年金番号を導入した97年以降に社保事務所長以上で退職した人を中心とし、長官経験者ら一部幹部には、62年の社保庁創立時からの在籍者に協力を求める。同庁に出向経験のある厚生労働省現役職員にも自主返納を求める。村瀬長官の要請に対し、社保庁労組の関係者は「むげに断れないが、組織の対応もすぐ答えられる状況にない」と述べ、労組内が混乱していることを明らかにした。
これに先立ち安倍晋三首相は首相官邸で塩崎恭久官房長官、柳沢伯夫厚労相と会談し、賞与全額を返納する方針を決めた。公職選挙法の規定で議員歳費分は返せないため、法的に可能な上限額を返納する。財政再建の模範を示すとして既にカットしている分を除いた返納額は首相が73万円、官房長官は54万円、厚労相は50万5000円。
このほか武見敬三、石田祝稔両副厚労相、松野博一、菅原一秀両政務官や辻哲夫厚労事務次官も全額を返納する。
○このニュースを聞いて、子供の頃、HRの時間によく教師から言われた「連帯責任」を思い出してしまった、笑。
こんな話を支持する方もいるが、私は典型的なトップの部下に対する責任転嫁だと思う。
数千万円貰っている人が数百万円を返上しても生活に支障はないが、そうした方々が数十万円しか貰っていない人に対して数万円を返上しろと迫るとは、この国のトップと言われる連中の質もここまで落ちたか。
こんなトップ連中には誰もついて来ないのではないか、参院選の自民党の敗北が目に見えるような気が。
○社会保険庁の職員全員が遊びほうけて給料貰っているわけでもあるまいし、大半の職員は上司にこうしろと言われてただそれに従っていたにすぎないのではないか。
(こうした場合は、具体的な仕事のやり方を指示する通達なり業務連絡などが上局から現場に通知されるのが通常で、現場の職員はそれに従って仕事をし、従わないと業務命令違反で処分されることもあるものだが)
とすれば、そうした間違った仕事のやり方を指示した管理者の責任だろう。
(社会保険庁は、課長名で85年9月に各自治体の年金担当者に対して、入力済みの原簿(手書き年金台帳)を全て破棄せよと通知していたらしいが、これが事実なら大きな判断ミスの可能性がある)
ましてや、この春採用されたばかりの職員に何の罪があるというのだろうか。
○そういえば、しばらく前に「社員たちは悪くありません。私が悪いんです」と言い切った社長がいたが、調べてみたら破綻した山一証券の社長の言葉だった。
それを調べていたときに見つけたのが↓のメルマガ記事。
●責任絶対性の原則を徹底が、組織のリーダーの絶対課題
責任転嫁に走る
2年前のJR西日本・福知山線での電車の脱線転覆事故の直後に、常務が、置き石による脱線事故であると断言した時、「そんな馬鹿な」と思った。ラッシュ時に電車が脱線するような大きな石を、しかも目撃されずに置くことは困難であり、責任転嫁と思った。
そして、運転士がすごいスピ-ド違反をしたことが判明したあとの社長の発言を聞いて「これまで自分の失敗を認めたことがない男だな」と感じた。失敗を認めて謝ったことがないから、事故も自分の失敗と認めず、会社の体質に事故の根源があったと言いつのり、責任を社員に転嫁するような釈明をしたのだ。初代の社長は相談役とはいえ取締役であるのに評論家のような発言に終始した。
責任絶対性の原則をわきまえない役員たち
これらは、重要な組織原則である「責任絶対性の原則」をわきまえていないことを示す。その原則は「上司は部下への管理責任をもち、部下の行動の結果責任を負う」である。「管理責任」とは部下に指示や規則、それに社会的な規範を守らせることである。「結果責任」とは、「部下の不始末は上司の不始末」ということである。その上司には部下の直接の上司だけでなく、さらにその上の上司、そしてトップの社長までが含まれる。
これは組織人としての常識のはずである。「私は部下の行動や結果に責任をもちません」というような人間は管理者失格である。まともな会社なら、部長が部下の不始末が発覚したときに社長に「部門の体質の問題です。これから体質の改善に部門の全員でがんばります」と言えば、「なにを言っている。おまえはそれでも部長か」となり、ただちに解任されるであろう。それは責任を部下全員になすりつける卑劣かつ無責任な発言である。
でたらめ役員とまともな現場部門長
また、社長や役員が、社員のひきおこした不祥事の責任を認めない会社を、誰が信用するであろうか。また、そんな連中に誰がついてゆくであろうか。社員の不始末を自分の不始末と認めることで、はじめて、ぴしっとした管理と不祥事の防止への真剣な努力がなされるのである。さもなくば、それらの努力がおざなりとなり、会社の体質はどんどん悪化し、自分の不始末を部下の不始末とするような責任転嫁も横行する。
いずれにせよ、責任絶対性の原則をわきまえない社長や役員は、係長としても不適格なでたらめ人間といえよう。JR西日本の新しい社長、さらには、不祥事相次いだ日本航空の前社長や現社長なども、社員総懺悔をアピールし、意識改革研修などを社員に強制するが、これほど、でたらめで、無責任なことはない。
一報、JR西日本で、遺族などに対し悲痛な顔で自分の責任のように謝っていた社員たちははるかにまともな組織人といえよう。事故発生を知りながらボ-リングと宴会をした部門があったが、その非常識な行為を部門の体質のせいにせず、すべて自分の責任として謝った部門長も、社長たちよりは、よほどまともな組織人といえよう。いろんな批判ができようが、山一証券破たんのさいに号泣しながら、「社員たちは悪くありません。私が悪いんです」と言い切った社長は、立派だと思う。
【6/28:下線部を追記】
【6/29:青字部を追記】
by azarashi_salad | 2007-06-26 07:19 | 社会 <:/p>