▽「犯罪」よりも「ミス」が叩かれる社会(その2)

●前回のエントリー(△熊だと思えばいい)では、「私はこうした場に居合わせた経験がないので、この乗客たちを批判するつもりはない」「実際にそうした行動がとれるかは、その時になってみないと分からないのだが、こうしてシミュレーションしておけば何かの時の役に立つと思う」と書いたのだが、ネット上では案の定というか乗客たちを批判する意見が目立つ。

○こうした論調を見て、そういえば以前にこんなエントリーを書いていたことを思い出した。

 以前にエントリーした(▽「犯罪」よりも「ミス」が叩かれる社会)では、
 マスコミの皆さんにぜひ考えて頂きたいことは、「不祥事」で処分を受ける方々は確かに「ミス」を犯したかも知れないけれど、少なくとも「犯罪」は犯していないということです。
 「犯罪」よりも「ミス」が責められる社会は、やはりどこかおかしくありませんか。

と問題提起したが、今回の事件では、マスコミが揃ってたまたま現場に居合わせた乗客たちを批判の矛先に誘導している点や、こうしたマスコミ報道に煽られてマスコミの狙い通りの論調がネット上で拡がりを見せているのがとても気になる。

○もちろん、彼らが「犯罪」の現場に居合わせながら何の通報もしなかったことは決してほめられたことではないが、だからといって本来何の罪も犯していない者をそこまで批判することができるのだろうか。

 一方、こうした一時の感情で無理な勇気を煽って、いざそのような行動に出た方が不測の事態に陥ることがあっても、マスコミは決して責任を取らないということも私たちは理解しておく必要がある。

 そう考えると、こうした問題について考える場合には何もできなかった乗客たち個人に目を向けるのではなく、なぜ乗客たちが何もできなかったのかと言う視点で考えれば、もう少し違った論調になったのではないかと思う。

【4/29:追記】
なぜ乗客たちが何もできなかったのか、そのヒントがここにあるかも知れません。
●傍観者効果

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by azarashi_salad | 2007-04-24 07:38 | 社会 | Comments(9) <:/p>

Commented by 彰の介 at 2007-04-24 20:52 x
彰の介です。
最近、自分の行動力について、記事を書いていたので、あざらしさんの「熊・・」の記事を読んで、「う~ん熊か、ただ逃げるだけかなあ?」なんて漠然と考えておりました。しかし、やっぱりと言うか、無責任と言うか、マスコミやらネット記事で、ご指摘の乗客批判がされていますね。正直、後からならなんとでも言えると思います。多くの方が熊に遭遇した時、ちゃんと立ち向かっていく社会だとしたら、たいしたものですが・・・。
Commented by 匿名 at 2007-04-25 00:15 x
新幹線車内→教室
と考えるといじめと似たような雰囲気。

「助けると、助けた本人が不利益をこうむる可能性が有るから簡単には助けられない(助けるリスクが高いと言うよりリスクしか無い)。」

通常に比べて密室的であったことも何か関係があるのではないか?

一番不思議なのは、犯人に声を掛けた人がいたのに車掌には声をかけていない点
(この犯人に面と向かって言うのはかなり大変そうだが、車掌に声をかけるのはそうでもないはず)
おそらくこれは犯人が声を掛けられたときに、犯人がどういったことを言ったかによると思う。
例えば"人の女に首を突っ込むな!"等と言った場合、
それ以上介入するのは精神的に気後れ(恐怖感・痴情のもつれだろう等)してしまうのではないだろうか。
おそらく犯人に声をかける前は何かおかしいと思っていたが、
声を掛けた時点から有る程度解決してしまったという感覚が無意識的に居合わせた人々に働いたのでは...

それにしてもこの犯人公判中にこんなことを再度起こすのですから社会に置くのは無理である。
この部分がクローズアップされないといけないだろうと思うのだが。
Commented by azarashi_salad at 2007-04-25 06:41
♪彰の介さん、おはようございます。
私も、彰の介さんのブログ記事(注意するということ)を読んでいたので、こうした場面に居合わせた時にどうすれば適切な行動がとれるか、と考えた結果(△熊だと思えばいい)を書きました。
ただし、被害者も含めてみんなが「熊に襲われているんだ」とイメージできなければ、なかなか冷静に的確な行動はとれないでしょうから、一人でも多くの方に読んで欲しいなあ。
本当は、メディアこそこうした方向にリードして欲しいのですが、笑。
Commented by azarashi_salad at 2007-04-25 06:50
♪匿名さん、コメントどうもです。
>それにしてもこの犯人公判中にこんなことを再度起こすのですから社会に置くのは無理である。
この部分がクローズアップされないといけないだろうと思うのだが。

本当ですね。
例えば記事の見出しが「電車で女性暴行 乗客通報せず」ではなく「電車で女性暴行 強姦罪などで公判中の容疑者」であれば、もう少し違った世論になったかも知れません。
大手マスコミは、自分たちが世論をリードしているという自覚があれば、もう少し違った視点の記事(見出し)が書けると思うのですが、残念ですね。
Commented by 都筑てんが at 2007-05-02 02:24 x
 どうもこんばんは。都筑てんがと申します。

 直接注意すると、隠し持った刃物などで殺されるかもしれない。

 仮に警察や車掌に通報したとして、事情聴取など取った、通報者・証人の個人情報が漏れて、自分や家族が「お礼参り」の犠牲になるかもしれない。(実際に、通報者が逆恨みを受けて殺される事件があった)

 そんな今の世の中で、自分を守る訓練すら受けてない「弱者」である乗客に「見て見ぬふりするな」という事自体が無理なのではないか…と思っています。

 「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉もありますが、「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」という現実がある訳で…。

 安易に「見て見ぬふりするな」と言うのは、要するに、「お前やお前の家族がどうなろうと知ったこっちゃ無いが、とにかく勇気を出して奴を止めて来い」って事と同じ事ですからね…。

 それで犠牲になっても、誰が責任を取ってくれるというのか…。
Commented by 都筑てんが at 2007-05-02 02:26 x
見て見ぬふりせざるを得なかった、ある意味「被害者予備軍」でもあった「弱者」「力なき正義」である乗客を「卑劣」「同罪」「冷酷」などと糾弾するよりも、その「力なき正義」に、「力(体力・護身の手段・人権・法律知識…など)」を与え、「注意・制止・通報のリスク」を下げていく必要があるのではないかと思います。

 また、それと同時に、強姦罪の厳罰化、通報者・証人への脅迫行為の厳罰化、通報者・証人への報復行為の厳罰化…など、「正義なき力」である犯罪者の「力(法的権力、その他)」を削ぐように動き、通報者・証人を保護するためのシステムを、政府に求めた方が良いのでは…と思う自分がいます。

 現在の日本では、被害者の権利よりも加害者の権利が優先される「やられ損社会」であることは否定できず、それが、悪い方向での「抑止力(見て見ぬふり・泣き寝入り)」に繋がってしまっているのではないか…などと思っています。
Commented by azarashi_salad at 2007-05-02 07:38
♪都筑てんがさん、ようこそ、はじめまして。
そちらの記事も読ませて頂きましたが、それにしても毎日の社説は頂けませんね。
この社説を読んでも読者には重苦しい感覚が残るだけで、再発防止に向けた展望が感じられませんでした。
このエントリーでも書きましたが、どうして乗客が通報できなかったのか、どうして同じ強姦罪で公判中の者が易々と再犯を犯せたのか、どうすれば同じような事件をなくすことができるのか、読者がそうした視点で物事を考えるような記事を書かないと、本当に「社会の木鐸」の名が泣いていますね。
Commented by rinnken1228 at 2007-05-03 00:35
はじめまして。
はじめてコメントさせていただきます。

どうしても、ジャーナリズムは世論をリードするという意識から、センセーショナルなものに目が行きがちなのかもしれません。
でも、それって、本質から目を逸らすことにもなりかねないんですよね・・・
冷静に考えてみれば、簡単なことなのでしょうが・・・
ジャーナリズムはもちろん、その読者も、もっと冷静にならなければいけないのかもですね。
Commented by azarashi_salad at 2007-05-03 07:12
♪rinnken1228さん、ようこそ、はじめまして。
ジャーナリズムが世論をリードするのは結構だし、社会から注目されるためにセンセーショナルな見出しを付けることも構いませんが、最近はリードする方向が間違っているケースが多いのではないかと感じています。
上のコメントでも書きましたが、読者が展望を見出せるような、改善の方向に向かうような問題提起をすべきではないかなあと思うのですが、そうした期待は間違っていますかね。
J-CASTなどはまるで三流週刊誌を思わせる記事ですが、毎日新聞のそれも社説が同じようなことしか書けないとは、情けなさを通り越して悲しくなりますね。

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