▽都民の選択(その2)

●先日のエントリー(▽都民の選択)で石原都知事の、「神戸の地震の時なんかは(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2000人余計に亡くなったわけですよね」という発言は「事実」と「意見」の区別ができていないと批判したわけだが、こうした批判をするとなぜか「ウヨ」「サヨ」といったレッテルを貼ることにより話が集束されがちなので、注意が必要かなとあらためて思う。

○はじめに断っておくが、私は石原発言の「2000人余計に亡くなった」という部分については「事実」ではなくて、石原氏個人の「意見」(仮説)だと考えている。
 だから、もし本当にそうした「事実」があるのであればその根拠を説明すべきでは、と書いた。

 このエントリーに対していくつか反論的なコメントも頂き、中には「なるほど」と頷かせるコメントもあったが、残念ながら「2000人余計に亡くなった」という「事実」を裏付けるコメントは無かった。

 こうした批判に対しては政治家発言の揚げ足取りと見る向きもあるが、都知事という公職にある立場の者がメディアを前にして個人的な「意見」(仮説)をあたかもそれが「事実」であるかのように公言するということは、「納豆を食べればダイエットできる」という「仮説」をあたかも「事実」であるかのように報じた「あるある大辞典」と根が同じであり、私は批判されて当然の行為と考えている。

○特に、災害時の危機管理対策や事故再発防止対策といったことを検討する際に、誤った「事実」を前提にされると問題点の分析や今後の予防対策を講じる上で「障害」になると言っても過言ではない。

 東京都においても、恐らく阪神大震災を教訓としたさまざまな災害対策が検討されていることと思うが、こうした対策をとりまとめる際に最終責任者(決裁者)である都知事が誤った「事実」認識のままでいれば、いくら担当者が優れた対策を提案してもなかなか理解してもらえず、結局は知事の意向に沿うような「早期の自衛隊派遣ありき」的な対策に陥る恐れがある。

 もちろん、こうした災害時に自衛隊の方々が頑張っていることは、阪神だけでなく新潟中越地震の際などでも重々承知しており、自衛隊の派遣そのものが間違っているなどと言うつもりはさらさらない。

 しかし、「対策」というものはあくまで「事実」にもとづく問題の分析に上に成り立つものであり、もし誤った「事実」認識のまま無思考的に「早期の自衛隊派遣ありき」的な対策がとられれば、それはそれで大きな問題だと思うのだが。

 そうした意味もあって、前回のエントリーの最後に「これが「都民の選択」だと言うことで。」と書いたが、石原都知事を選択した都民は、こうした問題も含めて受け入れる「覚悟」が必要と言うことだろう。
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by azarashi_salad | 2007-04-16 07:36 | 政治 <:/p>

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