▽朝日新聞社説と産経新聞社説が面白い

●中学の教科書をめぐり、朝日新聞社説と産経新聞社説がブログでいえば「祭り」さながらの議論の応酬を展開しています。

○一連の経緯について簡単に紹介しますと、4月6日付けの朝日新聞社説(「つくる会」こんな教科書でいいのか)に対して4月7日付けの産経新聞社説(教科書問題 驚かされた朝日新聞社説)が反論し、これに4月8日付けの朝日新聞社説(産経社説 こちらこそ驚いた)が再反論。

 その後も、4月9日付けの産経新聞社説(朝日社説 本質そらしてはいけない)、4月10日付けの朝日新聞社説(産経新聞 「封殺」の意味をご存じか)と、全国紙の紙面を使っての批判合戦が続いています。

 そこで、それぞれの社説における主張のポイントについて、以下のとおり簡単にまとめてみました。(あくまで個人的な「見方」ですので誤解のないように)

●「つくる会」こんな教科書でいいのか(4月6日 朝日新聞社説)
 
「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学の歴史教科書は、近現代史を日本に都合よく見ようとする歴史観が貫かれており問題である。
 具体的には、「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」の囲み記事など日本にとって光の当たる部分を紹介する一方、沖縄戦における「ひめゆり部隊」や集団自決などの悲劇に一言も触れていない。
 日本を大切に思うなら、他国の人が自分の国を大切にする心にも敬意を抱くべきだが、「つくる会」の歴史教科書はそのバランスを欠いており、教室で使うにはふさわしくない。

○私も、教科書というものは歴史教科書に限らずバランスのとれたものであるべきと思いますが、日本の近現代史における影の部分に焦点をあてていないからといって「他国の人が自分の国を大切にする心に敬意を抱いていない」と解釈するのは、少し説得力に欠けるのではないでしょうか。(他国の歴史をけなすような記述をしているのであれば理解しやすいのですが、そうではないですよね)
 歴史というものは、教科書に限らず資料であってもそのときの権力者にとって都合よく書かれている場合が多いと私は理解していますが、本来は、未来に正確な情報を残すためにも、光の部分も影の部分も含めて「事実」をありのままに正しく伝えることが必要ではないかと思います。

●教科書問題 驚かされた朝日新聞社説(4月7日 産経新聞社説)
 
6日付けの朝日新聞社説は、特定の教科書を排除し、自由な言論を封殺するもの。
 今回、検定に合格した教科書は8社あり、これから全国の教育委員会で教科書選定の作業が行われるこの時期に、1社だけを狙い撃ちするような社説は教育委員会に不必要な予断を与えかねない。
 検定に合格した教科書には、朝日新聞の論調に近い教科書もあればそうでない教科書もある。いろいろな教科書を教育委員らが読み比べ、子供たちに最も良いと思われる教科書を選ぶのが選択であり、外国の圧力や特定政治勢力の妨害に左右されない静かな環境が必要である。

○産経社説では「教科書選定の作業が行われるこの時期に、1社だけを狙い撃ちするような社説は教育委員会に不必要な予断を与えかねない」と問題提起していますが、4月5日付けの産経新聞社説(中学教科書 記述の是正はまだまだ不十分)において「公民の教科書でも・・・生徒に考えさせようとしている教科書は扶桑社だけだ」と扶桑社1社だけを持ち上げておきながら、批判されたからと言って「狙い撃ちするのはけしからん」「静かな環境が必要である」という主張は、あまりにも矛盾しているような気がするのですが。(笑)

●産経社説 こちらこそ驚いた(4月8日 朝日新聞社説)
 
朝日新聞はこれまで「検定はできるだけ控えめにすべきだ」「教科書は多様な方がよい」と主張し、その考えはいまも変わらないが、「つくる会」の歴史教科書は教室で使うにはふさわしくないと考えざるをえない。
 「つくる会」の教科書は、歴史の光の面を強調しすぎて影の面をおざなりにしており、その落差が他社の教科書に比べて際立ちバランスを欠いている。
 扶桑社は、産経新聞と同じフジサンケイグループに属しているので産経新聞が「つくる会」の教科書を後押ししたい気持ちはよく分かるが、自らがかかわっている教科書を自社の紙面で宣伝してきたと言われても仕方あるまい。

○朝日新聞の「検定はできるかぎり控えめにすべきだ」という主張は、終戦後に「教科書」を黒く塗りつぶさなければならなかった歴史的反省から来ていると思うと私にも理解できるのですが、それと「教科書は多様な方がよい」という主張がどうしてリンクするのか、私にはよくわかりません。
 歴史教科書に求められることは、「多様性」ではなくて明らかにされている事実を可能な限り正しく伝えることにつきるのではないでしょうか。(教科書に「主張」は不要でしょう)
 また、朝日新聞社説は「つくる会」の歴史教科書について、あくまで「教室で使うにはふさわしくない」と主張していますが、一方で「教室で使うにふさわしい教科書」についての唯一の説明が「バランス」と言うあいまいな表現では、教科書を選定する教育委員会としても客観的な判断が困難ではないでしょうか。
 なお、私も上の感想でとりあげましたが、自社の宣伝云々は、この問題の本質とは関係ないですね。(笑)

●朝日社説 本質そらしてはいけない(4月9日 産経新聞社説)
 
朝日新聞の八日付社説は、論点をすり替え疑問に答えていない。多様な教科書が必要だとすることと、特定教科書を排除することは矛盾するが、朝日はいつから二重基準を持つようになったのか。
 日本の教科書は、複数の教科書の中から各地の教育委員がふさわしいと判断する教科書を選ぶ仕組みであり、多くの選択肢が保障されていることに日本の教科書採択制度の本質がある。
 当初は、産経が教科書を発行し扶桑社が発売する予定だったが、十一年の旧文部省の指導で発行と発売が扶桑社に一本化され、それ以降、産経は教科書の編集に一切かかわっていない。
 問題の本質は、特定の教科書が気に入らないからといって排除することは、自由な言論を保障した民主主義のルールに反しないかという点だ。

○産経新聞社説では、複数の教科書の中から各地の教育委員が教科書を選ぶ選択肢が保障されていることが日本の教科書選択制度の本質としていますが、教育委員には選択の自由が保障されていても、肝心の教える「教師」と教わる「生徒」に選択の自由が保障されていないことが最大の問題ではないのでしょうか。
 「教師」にしてみれば、本人の考えには関係なく教育委員が選択した教科書を使用して教えなければならず、このような状況が「サラリーマン教師」を生み出す原因の一つになっているのではないでしょうか。
 さらに「生徒」にしてみれば、同じ歴史にもかかわらず地域(教育委員会)によって教わる内容が微妙に異なれば、高校受験や大学受験時の「平等性」が損なわれることが危惧されるのですが。
 このように考えると、朝日新聞、産経新聞の双方が主張している「自由な言論」というものを本当に教科書問題で議論すべきことなのか、私は疑問に思わざるを得ません。
 ちなみにこの問題の本質ではありませんが、「編集」には一切係わっていなくても「宣伝」には明らかに係わっていますね。(笑)

●産経新聞 「封殺」の意味をご存じか(4月10日 朝日新聞社説)
 
検定の合格した8社の中学歴史教科書の中で、朝日新聞が「つくる会」主導の扶桑社版を批判したのは、この教科書の光と影の落差が他社に比べてあまりにも際だっているから。
 検定に合格させるなとか販売をやめろと主張したわけではないのに、どうして「言論の封殺」になるのか。教科書は多様な方がよいということは、どんな内容でも批判が許されない、ということではない。
 産経社説は、一社だけを批判するのは自由な言論を封殺するものだと言うが、数ある新聞の中で朝日新聞をしばしば集中的に批判してきたのは産経新聞や「正論」ではないか。

○7日付けの産経社説は「特定の教科書を排除することは自由な言論を封殺するものだ」と問題提起しているのであって、批判することに対して「自由な言論を封殺するものだ」とは言っていないと思うのですが、これは私の読み方が間違っているのでしょうか?
 なお、教科書問題と全然関係ない過去の新聞批判を持ち出して反論するのはやめた方がいいと思います。(笑)

 マスコミ関係者が「社会の公器」と自認する全国紙の紙面を使ってこんな「祭り」をしていていいの、なんて野暮なことを言うつもりはありません。(笑)
 子を持つ親としては非常に興味深い議論ですので、ぜひとも「ブログでトラバ合戦をやってくれればなあ」と願わざるを得ません。

【追記】
「ブログに挑戦」さんのTBのおかげで、4月8日と4月9日の社説にも気付き追記しました。どうもありがとうございます。
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by azarashi_salad | 2005-04-10 13:29 | 社会 | Comments(0) <:/p>

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