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▲「ものづくり」の価値を見直そう

ものづくり道
●クリエーター達が報いられる日(大西 宏のマーケティング・エッセンス)

○いつもお邪魔する大西さんのブログ記事「クリエーター達が報いられる日」で「日本は、クリエーターにとって決して恵まれた環境の国とはいえません。どちらかというとコンテンツを生み出すクリエーターの立場が弱く、コンテンツを流す映画、TV、ラジオ、レコード、出版会社などの流通が主導権を握っているというのが実態です」と問題提起されています。

 一方、dawnさんも先日の記事「メディアの融合」において、「日本のコンテンツビジネスは流通サイド(放送、広告代理店、通信も流通の範疇)が強過ぎる。この結果、制作会社は下請として大半が虐げられ、成長性を摘み取られてきた」と指摘されています。

 どちらの記事も、「制作サイドが弱く流通サイドが主導権を握っている」という点で共通しています。
 私も、中小企業を中心とする高い技術力を持った制作現場がこれまで日本経済を支えてきたと考えており、もっと「ものづくり」を高く評価すべきではないかと思います。

○そのような中、ライブドアとフジサンケイグループの対立問題が連日ニュースを賑わせていますが、そこで気になるのが「会社は誰のもの」という議論です。
 というのも、多くのコメンテーターの方々に「会社は経営者のものでも社員のものでもなく株主のもの」という極端な主張が見受けられますが、本当にそれでいいのでしょうか。

 もちろん、私も会社が株主に利益を還元することを否定するつもりはありませんが、先ほどの「ものづくり」の価値を高めるという観点から考えた場合、株主の利益のみを追及する会社の社会的存在価値はあるのか、と考えてしまうのです。

 株主となって会社の株を買うと言うことは、当たり前ですが「投資する」と言うことですが、ではその投資の対象は一体何でしょうか。
 私たちは、先人達が創りあげてきた「文化」や「技術」の上に立って、今の生活を営んでいます。そして、そうした「文化」や「技術」は、多くの先人達が投資した結果、後世に託された「社会資産」といえるのではないでしょうか。

 もし会社というものが株主への利益還元だけを考え、何も生み出さない、何も残さない行動を選択するとしたら、今ある「社会資産」は全て食い尽くされてしまい、私たちの子供や孫の世代には何も残らない、残りカスだけの社会になってしまうのではないでしょうか。

○株式投資のすそ野が広がるにつれ、おそらく多くの株主の方は自らの「個人資産」を増やす目的で株主になられていると思いますが、個人の資産なんて「墓場」まで持っていけるものではないと思います。
 それよりも、自分が投資した会社が、その投資のおかげで後世に役立つ「技術」や「文化」を残すことにつながれば、「社会資産」に対して素晴らしい「投資」をしたと後世に誇れるのではないでしょうか

 今回のライブドアとフジサンケイグループの対立について、私は特にどちらを支持するつもりもありませんが、どちらの方が後世によりよい「社会資産」を残すのか。私は「ものづくり」という観点から注目したいと思います。

by azarashi_salad | 2005-03-20 15:22 | 経済 <:/p>

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