2010年 07月 20日 <:/p>
◆国民が「メディアリテラシー」を身につけるためにはメディア業界の変革が必要
先週”■自民苦しめた「直近の民意」、民主へブーメラン(読売新聞 - 07月12日 15:51)”という記事に対して”◆今回の参院選結果から見える「民意」”というmixi日記を書いたところ、ふくろうさん、眠い@Mattsunさん、というお二方からコメントを頂いた。
お二人への返答を考えている中で、このところ頭の中でふわふわと浮かんでいたメディア業界の変革に対するイメージを上手くまとめることが出来たので、新たなエントリーとして書いてみたい。
今回の参院選、民主党が敗北したからといって、自民党やみんなの党が積極的に支持された訳でもないと思う。結局のところ「ねじれが良い」が「民意」なんだろう。ただし、その「民意」がどのようにして造られたのか、を考える必要がある。
有権者は、積極的に「ねじれが良いから」と思って票を投じたというよりは、「ねじれても別にいいよ」的な行動なのだろう。
以下は読売新聞に掲載されていた有権者アンケート結果の一部だが、
●参院選の結果、民主と国民新の与党が、過半数の議席を維持できなかったことを「良かった」と思う人は54%で、「良くなかった」29%を大きく上回った。
これは、有権者が「ねじれ」を許容して投票行動したことを裏付けるデータの一つである。
●みんなの党の躍進については、「民主党と自民党への不満」45%が最も多かった。
こちらのデータは「みんなの党」が積極的に支持されたわけではないことを裏付けている。
前回の衆院選では民主党に圧倒的な票を投じた多くの有権者は、今回どうしてこのようなブレた行動をとったのか。もちろん民主党の稚拙な政治手法にも問題が多くあったが、個人的には国民(この場合は有権者だが)が一定方向で意志を固めることを妨げるような世論誘導するマスコミが一番問題と思っている。恐らく政局が混乱している方がセンセーショナルな話題が豊富で、視聴率も上がってマスコミ業界的には有り難いのだろう。
思うに、現在のマスコミ報道は何でも減点法のネガティブ報道に偏り過ぎだと思っている。某マスコミ関係者から聞いた話だが、少し前までは日本と同じようなネガティブ報道に偏っていた欧米のマスコミ関係者からも「こんな事ばかりしていると国が衰退するから、いい加減に気づいた方がいいよ」的に見られているらしい。
誰でも心の中に少なからず妬みや反感の感情を持っている。問題は、国民(視聴者)のそのようなネガティブ感情を煽って「民意」を世論誘導するマスコミ業界にあるということだ。
医療バッシングしかり、官僚バッシングしかり、相撲バッシングしかり。もちろん、これらの組織や構成する一部の者に全く問題がないとは言わないが、重箱の隅をつつくようなネガティブ報道ばかりで、これで本当に社会が良くなるのか疑問である。
その一例として以下の報道を紹介する。
■操縦室で記念撮影パイロット、地上職で再雇用(読売新聞 - 07月17日 21:59)
私は以前から、このエアラインの経営陣は非常に安全に甘い体質だと考えているが、この再雇用まで悪いことだとは思わない。マスコミ業界は、この国を非定職者で溢れさせたいのだろうか。現役パイロットが、操縦を断念して地上職として再出発することすら許されない社会のほうが、私には「異常」に思われる。
現実社会は「聖人君子」ばかりで構成されているわけではないし、社会を構成する人々は、どの業界にしてもマスコミが報道するような悪いこととは比べものにならないほど沢山良いことをしている。だから、いい加減にネガティブ報道に偏るのをやめて、もっと社会を明るくするようなテーマや情報に光を当てた方が、みんなの心がもっとポジティブに、幸せになるのではないかと思う。
マスコミ業界がこうした行動に走る背景には、マスコミ関係者の一人ひとりの意志というよりは業界の営利至上主義、視聴率至上主義があるのだろう。(このあたりは、あらためてもう少し詳しく書いてみたい)
マスコミが「社会の公器」というのはもはや幻想に過ぎず、民間企業である以上、営利優先になるのは避けられない。その意味では、「無料」で得られる情報に高い品質を求めることに無理があるのかも知れない。(NHKが伝えている情報が受信料に見合うほどの品質かどうかは意見が分かれるかも知れないが、個人的には少なくとも民放よりはクオリティが高いと思っており、我が家では今のところ納得して受信料を払っている)
取材や編集に一定の経費がかかることも理解できるが、マスコミが伝えている殆どの情報(行政機関や警察などの公的機関が発表する情報や民間企業が発表する商品情報など)の元手は無料なのだから、メディア業界が変革すれば、もっと「高品質」の情報を「安価」に国民に提供することが可能ではないかと思う。
一方、マスコミ業界による世論誘導から脱却するためには視聴者・国民一人ひとりがメディアリテラシーを身につけることが重要となる。
●主権在民とは「世論が全て」ということ
●事実上、世論とはマスコミ
●日本やアメリカにおいてはマスコミが第一権力になっている
●どうしても必要な自由は権力を批判する自由だけ
●権力を批判する自由さえ完全に確保されれば、他は制限されていい
以上は、藤原正彦著「国家の品格」に書かれている内容の一部だ。多少言い過ぎのような感もあるが、大きくは間違っていないと思っている。
このため、私たち視聴者にも質の高い情報を見分ける力(メディアリテラシー)が求められる。というのも、すでにマスコミが事実上の「第一権力」となっている現状では、国民による「権力監視」という意味でもメディアリテラシーが必須だからだ。このメディアリテラシーを身につけるためにも「情報」=「無料」という今の仕組みはマイナスではないか。
たとえ「安価」でも一定の「対価」を払っていれば、消費者(視聴者)は自ずと質の高いサービス(情報)を求めるようになるものだ。しかし、今のようにハード(通信インフラや端末)ばかりに消費者の負担が集中し、肝心のソフト(コンテンツ)が「無料」のビジネスモデルでは、質の高い「情報」は望めそうもない。
こうしたビジネスモデルはまだ試行錯誤の途上にあるので、メディア業界全体がハード重視からソフト重視へと配分の仕組みを見直すことが必要ではないだろうか。
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お二人への返答を考えている中で、このところ頭の中でふわふわと浮かんでいたメディア業界の変革に対するイメージを上手くまとめることが出来たので、新たなエントリーとして書いてみたい。
今回の参院選、民主党が敗北したからといって、自民党やみんなの党が積極的に支持された訳でもないと思う。結局のところ「ねじれが良い」が「民意」なんだろう。ただし、その「民意」がどのようにして造られたのか、を考える必要がある。
有権者は、積極的に「ねじれが良いから」と思って票を投じたというよりは、「ねじれても別にいいよ」的な行動なのだろう。
以下は読売新聞に掲載されていた有権者アンケート結果の一部だが、
●参院選の結果、民主と国民新の与党が、過半数の議席を維持できなかったことを「良かった」と思う人は54%で、「良くなかった」29%を大きく上回った。
これは、有権者が「ねじれ」を許容して投票行動したことを裏付けるデータの一つである。
●みんなの党の躍進については、「民主党と自民党への不満」45%が最も多かった。
こちらのデータは「みんなの党」が積極的に支持されたわけではないことを裏付けている。
前回の衆院選では民主党に圧倒的な票を投じた多くの有権者は、今回どうしてこのようなブレた行動をとったのか。もちろん民主党の稚拙な政治手法にも問題が多くあったが、個人的には国民(この場合は有権者だが)が一定方向で意志を固めることを妨げるような世論誘導するマスコミが一番問題と思っている。恐らく政局が混乱している方がセンセーショナルな話題が豊富で、視聴率も上がってマスコミ業界的には有り難いのだろう。
思うに、現在のマスコミ報道は何でも減点法のネガティブ報道に偏り過ぎだと思っている。某マスコミ関係者から聞いた話だが、少し前までは日本と同じようなネガティブ報道に偏っていた欧米のマスコミ関係者からも「こんな事ばかりしていると国が衰退するから、いい加減に気づいた方がいいよ」的に見られているらしい。
誰でも心の中に少なからず妬みや反感の感情を持っている。問題は、国民(視聴者)のそのようなネガティブ感情を煽って「民意」を世論誘導するマスコミ業界にあるということだ。
医療バッシングしかり、官僚バッシングしかり、相撲バッシングしかり。もちろん、これらの組織や構成する一部の者に全く問題がないとは言わないが、重箱の隅をつつくようなネガティブ報道ばかりで、これで本当に社会が良くなるのか疑問である。
その一例として以下の報道を紹介する。
■操縦室で記念撮影パイロット、地上職で再雇用(読売新聞 - 07月17日 21:59)
私は以前から、このエアラインの経営陣は非常に安全に甘い体質だと考えているが、この再雇用まで悪いことだとは思わない。マスコミ業界は、この国を非定職者で溢れさせたいのだろうか。現役パイロットが、操縦を断念して地上職として再出発することすら許されない社会のほうが、私には「異常」に思われる。
現実社会は「聖人君子」ばかりで構成されているわけではないし、社会を構成する人々は、どの業界にしてもマスコミが報道するような悪いこととは比べものにならないほど沢山良いことをしている。だから、いい加減にネガティブ報道に偏るのをやめて、もっと社会を明るくするようなテーマや情報に光を当てた方が、みんなの心がもっとポジティブに、幸せになるのではないかと思う。
マスコミ業界がこうした行動に走る背景には、マスコミ関係者の一人ひとりの意志というよりは業界の営利至上主義、視聴率至上主義があるのだろう。(このあたりは、あらためてもう少し詳しく書いてみたい)
マスコミが「社会の公器」というのはもはや幻想に過ぎず、民間企業である以上、営利優先になるのは避けられない。その意味では、「無料」で得られる情報に高い品質を求めることに無理があるのかも知れない。(NHKが伝えている情報が受信料に見合うほどの品質かどうかは意見が分かれるかも知れないが、個人的には少なくとも民放よりはクオリティが高いと思っており、我が家では今のところ納得して受信料を払っている)
取材や編集に一定の経費がかかることも理解できるが、マスコミが伝えている殆どの情報(行政機関や警察などの公的機関が発表する情報や民間企業が発表する商品情報など)の元手は無料なのだから、メディア業界が変革すれば、もっと「高品質」の情報を「安価」に国民に提供することが可能ではないかと思う。
一方、マスコミ業界による世論誘導から脱却するためには視聴者・国民一人ひとりがメディアリテラシーを身につけることが重要となる。
●主権在民とは「世論が全て」ということ
●事実上、世論とはマスコミ
●日本やアメリカにおいてはマスコミが第一権力になっている
●どうしても必要な自由は権力を批判する自由だけ
●権力を批判する自由さえ完全に確保されれば、他は制限されていい
以上は、藤原正彦著「国家の品格」に書かれている内容の一部だ。多少言い過ぎのような感もあるが、大きくは間違っていないと思っている。
このため、私たち視聴者にも質の高い情報を見分ける力(メディアリテラシー)が求められる。というのも、すでにマスコミが事実上の「第一権力」となっている現状では、国民による「権力監視」という意味でもメディアリテラシーが必須だからだ。このメディアリテラシーを身につけるためにも「情報」=「無料」という今の仕組みはマイナスではないか。
たとえ「安価」でも一定の「対価」を払っていれば、消費者(視聴者)は自ずと質の高いサービス(情報)を求めるようになるものだ。しかし、今のようにハード(通信インフラや端末)ばかりに消費者の負担が集中し、肝心のソフト(コンテンツ)が「無料」のビジネスモデルでは、質の高い「情報」は望めそうもない。
こうしたビジネスモデルはまだ試行錯誤の途上にあるので、メディア業界全体がハード重視からソフト重視へと配分の仕組みを見直すことが必要ではないだろうか。
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by azarashi_salad | 2010-07-20 06:24 | 政治 <:/p>